現在、シリアは内戦状態に陥っている。サリンの過酷な化学兵器が市民に対して使用された証拠は強いそうだから、国際社会がどういう風に対応するべきかという議論が活発になっている。私は、シリアへの対応について何も言わない。なぜなら、情報不足だ。新聞を読んだり、ニュースを聞いたりはしているが、それで確実な情報が得られるかどうかは疑わしい。過去の似ている例を見れば、報道された情報には大きな間違いがあったことは多いので、今回も同じである可能性は否定できない。そして、私には決断する必要はない。私がどう決断しても、国際社会の動きには影響を及ぼさない。仮に私は首相であるとすれば、このように放置するわけにはいかないが、事実でそうではない。
しかし、このような問題について一般的に論じたいと思う。他国で悲劇が繰り広げることは少なくない。シリアもエジプトもアフガニスタンもイラクも北朝鮮も現在の良く報道されている例だし、ソマリア、マリー、メキシコはそれほどされていない例だろう。そとから見れば、何かするべきなのではないかと思うのは当然だ。手伝うべきである場合も少なくないだろう。
問題は、まず、情報の問題だ。他国の事実は把握できていないのは原則だ。特に内戦状態やそれに近い状態に陥っている国で、情報をねつ造する組織が多くなる。政府もその一つになる場合もある。海外から来た調査機関を騙すこともあるので、国連の結論は妥当であるかどうかも疑わしい。だから、動こうとしても、実は状態を悪化させるように努力する恐れがある。
そして、無理に仮定するが、情報は正しく把握したとしよう。その場合でも、混乱を極める状態を是正する行動は明白ではない。模索しなければならない。実行する行動が状態の悪化につながる可能性は実に高い。なぜなら、混乱な状態を改善するのは極めて難しいものの、悪化させるのは簡単であるからだ。行動にちょっとだけ間違えても、さらに悲劇を齎すことがある。
最後に、確実な結果はある。内戦状態に軍事力で関与すると、無罪な人が亡くなる。子供もそうだ。子供を犠牲として状態を悪化させてはいけない。
結局、他国が内戦状態のような混乱に陥ると、干与するべきではないだろう。悲劇をただただ傍観するのは過酷であると感じるし、そして悲劇が繰り返すと心を痛めるけれども、「何かやるべきだ!」という気持ちで悲劇をさらに深刻にさせてはいけない。だから、外交や助言で平和的な解決を推進するしかない。もちろん、そのような活動を高価は大きく期待できない。それも、悲劇の一面だ。
だから、世界を放置するべきかと聞かれたら、そうではないと思う。混乱に陥る前に他国の援助に携わるべきであると思う。内乱はない状態で、正しい情報を入手するのはより容易だし、改善につながる行動もとり易くなるし、行動の結果は亡くなった子供ではない。行動が失敗に終わっても、悪化を促さないことも多い。このような援助は、インフラ整備、人権尊重向上、民主化、経済成長などの内乱を防ぐことだ。
つまり、危機が発生すると、干与はもう遅い。危機が発生しないように、他国に対しても努力するべきだと思う。