神社界と政治

現在の神社は、政治との直接はつながりは持っていない。一つの神社は、一つの独立した宗教法人であるし、神社本庁も一つの包括宗教法人に過ぎない。民間団体だ。それでも、神社の関係者は政治への関心を持つことは少なくないだろう。指で数えられる例外を除けば、国民だから、民主国会の日本で参政権を持つし、理想的な国柄も持つだろう。だから、当然のことながら、神社関係者の政治への干与を歓迎する。

しかし、上記の論は個人的な干与についてだ。神職としての干与ではない。「神道政治連盟」という組織が存在するが、神職だからといって神道政治連盟を支援するのだろう。

個人的に、そう思う理由はないと考えている。神職の間半数は、社家に生まれ、先祖の神社を受け継ぐ。つまり、神社の仕事を選ばなかった。むしろ、選ばれた。もちろん、もう江戸時代ではないので拒めばしなくても良いので、それでも神職になる人は伝統や家族を重視すると思える。ただし、神道そのものを重視するとは限らない。さらに、78年前に廃止された国家神道を重視する保障は全くない。皇室に対して特別な思いを持つことは多いだろうが、必然的ではない。自分の家族を大切にすることは保障されているが、自分の家族は皇族ではない。

だから、殆どの神職が共有する政治的な意見は限られていると思える。神社の運営と直接に関わる法律や制度は関心になるはずだ。そして、伝統や家族を重視する可能性は高い。鎮守の森の保存も気になるだろう。神社界を一丸で発起したければ、このようなテーマは適切だと思う。しかし、神道政治連盟の重視する課題を見たら、これと離れている。皇室の継続は伝統の一部だから、一応入っていると言えるが、領土問題や靖国神社への総理大臣の正式参拝は関係ない。自主憲法はさらに別な話だ。

こう考えれば、9月2日付の『神社新報』で神道政治連盟の幹部が一般神職の消極的な態度を喚くのは驚くほどではない。一般的な神職には、神道政治連盟の製作に関心を持つ理由はないからだ。もちろん、そういうふうに考える神職はもちろん存在するし、組織を組んでも構わない。「神道政治連盟」という名称を持っても差し支えない。ただし、神職全般を代表しない。だから、神職の消極的な態度を受け止めて、有志を持つ神職で進むべきだと思う。そして、同じく神職で、別な製作を推進する組織を組んで、「神道政治環境連盟」だとか、「神道伝統文化政治対策本部」などの名称を持っても、神社本庁に認めてもらうべきだ。

神社界が政治的な問題に対して一体になると思う理由は見えないので、多様性を認めてほしい。