「随分と様相が異なってゐたでせう」

今日、8月26日付の『神社新報』で『神宮だより』というコラムを読んだ。毎回載るコラムで、伊勢の神宮のことを伝える。神宮の神職や職員によって書かれ、神社界の新聞に公開されるので公式に近い意見であると思える。

だから、今回の内容は興味深かった。作者が平安時代の式年遷宮と現在の式年遷宮を比較して、相違点は多いことを指摘した。「随分と様相が異なっていたでしょう」とはっきり言ったが、その通りだ。このブログで前にも指摘したと思うが、1300年の歴史を確かに持つ式年遷宮は、時代に合わせて変化してきた。1300年が経っても祭祀は変わらないと言わんばかりの記事も読んだことがあるので、ここで事実を潔く認める記事に出会うのは嬉しい。

私の観点は、祭祀が変遷するからこそ生き残るということだ。神宮の祭祀だけではなく、神道の祭祀や慣習全般は時代に合わせて変動するべきだと思う。「守るべきことを守る、変えるべきことを変える」は本格的な保守主義であると読んだことがあるが、本格的な進歩主義でもあると言えるのではないか。ただ、私はもう一つの文句を加えたい。神道の場合には特に適応するべきだろうが、一般的に重要だ。「甦らせるべきことを甦らせる」と。式年遷宮の歴史でこのことの前例も見えるが、数多くの神社祭祀も実例になる。失われたことは永遠まで失われているとは限らない。

いつも変動があるが、過去、現在、未来をともに見据えて変動させるべきだろう。

旅行の目標

週末の旅行で、旅行で何を狙っているかが浮き彫りになった。目的は、良い思出を作ることだ。真由喜と一緒であれば、真由喜と一緒の良い思出だし、家族旅行なら家族の思出だ。一人旅で、一人の良い思出だ。

当たり前だろう。

しかし、重要なことが潜む。

旅行で使うお金は、値段があるものを買うために使わない。むしろ、良い思出の前提を整えるために使う。

暑い日に長い時間安くて美味しいお店を探したくない?じゃ、すぐにお店を選んだら良い。ちょっと高くても、ちょっと美味しくないとしても、それでも良い思出が長くて辛い店探しによって損なわない。真由喜と一緒に旅する場合、真由喜が買った食べ物をあまり食べてくれないことは多い。だから、真由喜の食事に出したお金はある意味で無駄遣いになる。ただし、一緒にレストランに行ったり、食べたりすることは、真由喜にとっても楽しい行動だ。つまり、食事代で買うのは、食べ物ではなく、一緒にレストランで食べる経験だ。

この原則はお金に限らない。良い思出というのは、予定通りにならなかった旅でも可能だ。電車が運休になって、様々な手段でやっとたどり着くことも、思い出したら楽しく受け止められる。そのときでも、予定の崩れとしてではなく、思出になる経験として受け止めても良いと思う。もちろん、本格的な悲劇はそうできないが、電車の遅れとか、ホテルの問題などは、楽しい思い出話にできる。特に家族旅行の場合、一緒に笑ったら楽しい。

行動の本当の目的を忘れずに評価すれば、些細な問題が気にならないだろう。

真由喜の絵本

熱川温泉へ行くためにスーパービュー踊り子に乗って、2時間走らなければならない。真由喜と一緒に言ったら、電車の中の遊びを考えなければならないのは親の経験があった人には当然すぎるだろう。真由喜はお絵描きが大好きだから、私はそのような計画だった。だから、色サインペンを家から持って、電車に乗る前にコンビニで小さなノーロブックを買った。

紙は本の形だったからだろうが、電車に乗ったら真由喜が絵本を書くことにした。

本当の絵本だ。ページ毎に絵があるが、その絵を説明するひらがなもある。これは、真由喜が自分で想像した内容で、小さな女の子が草の妖精と出会う話になった。一部を作ったら、私に読んでもらうことにしたが、楽しく読み上げた。もちろん、まだ5歳だから平仮名の間違いはまだある。逆に書いたり、片仮名を混ぜたりすることはあるし、「を」の代わりに「お」を使って、「は」の代わりに「わ」を使ったりすることもある。これは、練習すると自然に消える問題だから、このように積極的で自発的に練習することは大歓迎。

そして、執筆だ。子供が親の行動を真似すると親は嬉しいことは少なくない。だから、私も喜んだ。

電車の中でもう一つ感動したことがあった。水がちょっとだけ一つのページに溢れたので、絵がちょっとぼけた。最初、真由喜が怒りかけたが、すぐに気を直して、水のことを話の中に入れるために新しい平仮名の言葉を書いた。このように問題を乗り越えるのは凄く良いと思う。

電車の中で5ページ程度書いたが、レストランや旅館、帰りの電車でも合間を縫って書き続けたので、今のところ22ページになっている。話には面白い展開もあるし、場面をよく表現する絵もある。これは、強く促したい行動だ。

熱川温泉

では、昨日の約束の通り、熱川温泉の旅行の詳細をちょっと書く。

今回の旅には新しいことがあった。それは、真由喜の洋服などのほとんどを真由喜のリュックサックに入れて、真由喜に持ってもらったことだった。家を出る瞬間には「重いよ。持てない〜」と文句を言ったが、私がリュックサックを持たなかった。確かに、バス停まで真由喜を持ったので、リュックサックも持ったが、心理的に大きな違いがある。真由喜も感じただろうが、駅についてから真由喜がずっと自分の荷物を持ってくれた。「軽くなった!」とも言ったが、それは慣れてきたからだった。これからの旅行も同じ方針にする。

そういえば、今回の旅行にはもう一つの真由喜の成長があった。私が二つの行き先の候補を選んで、最終判断を真由喜に任せたことだった。真由喜の参加をこれから段々増やす予定で、真由喜が自分で旅行を計画できるようにするつもりだ。それはいつになるか分からないが、中学生時代までにかもしれない。(もちろん、小学生でまだ私の監視は必要だが、ただ認めるだけで済むだろう。)

天気予報は、曇りと雨だったが、結局晴れていたので、暑かった。その結果、真由喜が殆ど露天風呂に入らなかった。熱川温泉のお湯はそもそも熱いし、高い気温の中でそのお風呂に入りたくなかった。だから、お風呂で人形のメルがいつも通り人魚になって遊んだ。実は、露天風呂はずっと貸切状況だった。宿泊客は少なかったようだし、ちょっと早めに入ったことは原因だろう。

昨日、一日を熱川温泉で過ごした。景色は素晴らしいが、温泉街は険しい谷に無理矢理入れられたような気がした。町の風景は奇麗ではなかった。しかし、それを見たら、この町の原動力は生活を立てようとする人間の努力であったことを実感した。美しい景色は食えない。より奇麗に開発できたのだろうが、そうするために資金と規則は必要だったと思うので、事実上は無理だったのではないかと思った。その上、人には自分なりに職業を開発する自由があれば、私が好まない方向へ発展させることもあるのは当たり前だ。

それはともかく、真由喜が楽しめた。まず、バナナワニ園を訪れた。真由喜は、バナナやワニにはあまり興味を示さなかったが、レッサーパンダを発見すると興味津々。長く見て、私のカメラを借りて写真を撮った。レッサーパンダは、暑さに弱いようだから、休憩することは多かった。それでも可愛かったので、真由喜が充分楽しめた。後で、ちょっと植物園に寄ったが、真由喜はあまり興味を持たなかった。ただ、冒険の話を頭の中に作って、私をジャングルから導きだした。

そして、お昼を食べたら、砂浜に降りる余裕があった。真由喜が楽しそうに波を怖がった。「怖い、怖い!」と叫んで私の方へ逃げたや否や、また海に近づいた。海遊びが終わったら、また駅に戻ったところで太平洋の上の虹が見えた。真由喜にとって、覚えられる初虹だったそうだ。私にとって、とても良い旅だったし、真由喜が幸せな思出として覚えてくれたら良いなと思っている。