「気をつけてください」とよく言う。特に子供によくいう。うちもそうだ。当然な注意だろう。気をつけないと、思わず事故に遭う恐れがあるからだ。自分を守る為に気をつけなければならないとも言える。個人的な方針として、賛成する。批判する余地はない。
しかし、社会的な方針として良くないと思う。社会的な方針は、気をつけなくても安全であることにすべきである。なぜかというと、人間は必ず何かを見逃すからだ。制度の前提はその制度で働く人間はいつも規則通りにすることであれば、悪いのは制度だ。人間は間違えるので、間違えても大きな問題にならないような制度を設けるべきだ。
階段やホームの安全柵はこの考えの具現化である。ホームの端に近づかない限り、安全柵は昨日しない。乗客が皆いつも気をつけたら、安全柵は不要である。ただし、そうではない。毎日数千万人が地下鉄を使えば、数百人が間違えて線路に転落しても驚くほどではない。だから、安全柵の設置で、間違いが悲劇に発展しないようにする。
制度と関わる人間がわざと事故を起こそうとしたら、制度だけで止めることはできないと思うが、それはよくある問題からほど遠い。よくある問題は、実は安全にやりたいが、間違いで事故を起こすことだ。例えば、今JR北海道の安全確認の怠慢が報道されているが、制度の問題が露になっている。例えば、線路の幅を測る車両で、人間が結果と所によって異なる基準を比較しなければならないそうだ。そして、修理を放置した理由として、優先順位が高いところを直していた間に忘れたという社員も。幅と基準の比較を自動化するべきだし、修理作業の優先順位も準自動的に更新するような制度も必要だ。
最近のパソコンでこのような措置が見える。今のソフトで、保存せずに数時間作っていたファイルを閉じようとすれば、「本当に保存せずに閉じるのか?」とのお知らせが現れる。私が初めてパソコンを使った時に、そういうお知らせはなかったので、長い時間の苦労を失った人は少なくなかった。
このような措置は、場合に応じて講じなければならないので一般的な解決策はない。ただし、方針として二つ考えられるだろう。一つは、一つのミスがあっても大きな問題にならない構成だ。もう一つは、職員にやるべきことを一番簡単にできることにする方針だ。疲れた場合、別なことについて頭がいっぱいになった場合、やるべきことをとりあえずやるのを楽にすれば、披露などから起きるミスが少なくなるだろう。大きな基準として、一番重要な時点で一番重要な人が気をつけずにうっかり間違えても大変な問題が起こらないように、事前に考えて、事前に制度を整えるべきだ。そうしていない組織で問題が起きれば、ミスはバイトの職員の責任であるとしても、問題の責任はトップにある。