構造差別と感情差別

このブログで前にも書いたが、個人的に差別を大別して三つに分ける。一つは思わず差別と言えよう。これは、加害者いは差別したり相手に迷惑をかけたりする意図は全くないが、相手の立場がよくわからないために思わず問題を起こすことだ。思わず差別はマイノリティにとってかなりの問題になることがあるが、啓発だけで解決できる。なぜなら、加害者は問題を起こしたくないので、起こさない方法が分かったら止めるはずだ。

例外は、社会の構造のため簡単に止められない場合だ。これ構造差別の例だ。構造差別とは、一般的に人の感情と関係を持たない差別だ。それより、社会の構造自体がマイノリティの生活を難しくする状況を指す。過去から残された構造は一つの原因であるが、思わぬ原因もある。そして、感情差別がある。これは「差別」の典型例だ。人間が他の人種や性別に対して恨みや憎みや軽蔑を抱いて、相手に被害を意図的に与えようとする行為だ。感情差別は許すべきではないと殆どの人が思うだろう。この投稿で、構造差別と感情差別の思わなかった絡み合いについて書きたいと思う。

このきっかけは、英語のブログで「The Petrie Multiplier」という。これ技術界での男女差別を問題として、女性が差別を沢山受ける理由を指摘する。女性は2割であれば、男性より16倍の差別を受けるという数学的な論証だ。男性も女性も差別行為を同じ数を行っても、女性側に被害者の候補は少ないので、一人一人の被害が多くなる。これは確かに興味深い結果だが、差別行為の数に拘る人はいないと思うので、別な測り方を考えた。

ちょっとしたスクリプトを作成して、試してみた。(スクリプトはPythonで書いたが、英語のブログの投稿の最後にアップした。)このモデルで、差別的な感情は男女を問わずに同じだ。ただし、人が集まれば、差別的な自分の性別は少数派であれば差別的な発言はしない。このモデルの結果は、男性の85%が差別と合わないにたいして、女性が何十回差別を受けるということだ。実は、女性の差別的な感情を男性の感情より遥かに酷くしても、女性がまだ数倍の差別を受ける。男女の割合が原因になる。

この結果を見たら、もちろん日本に住む外国人の立場が思い浮かんだ。自分の立場がいつも気になるのは当然だからだ。考えたのは、日本人の間に感情差別はほぼないとすれば、外国人がどれほど差別行為に遭うか、という問題だった。外国人の割合を2.5%、即ち40人に一人に設定した。それは現実に近い。そして、日本人の9割が差別行為を一切しない。残りの1割は、外国人と10回会ったら、1回差別行為を行う。この程度の差別は深刻な問題ではないと言えるだろう。日本人の9割には意図的な差別は一切ないし、残りの日本人の差別は珍しいし、外国人とのふれあいの大半に影響を及ばない。

では、結果はどうだろう。仮に、外国人が日に4回日本人と会うとしたら、外国人の大半(9割)が2週間に差別と一回遭う。外国人の2割はその4倍の差別に遭う。つまり、週に2回。

週に2回差別に遭うのは、些細な問題ではない。精神的な負担になって、落ち着きを奪うし、一体感を完全に崩壊する。だから、このモデルで社会には差別行為の問題がある。それに、意図的な差別行為の問題だ。社会的に感情差別は問題だ。しかし、日本人を一人一人見たら、感情差別は大きな問題ではない。9割の場合、全く問題はない。のこりは、ちょっと考え直すべきだが、知り合いであったら差別的であると思わないだろう。

これは構造差別だ。解決策は難しいが、社会レベルで考えなければならない。被害者の立場から見れば、確かに感情差別に見えるが、そうではない。

もちろん、日本の社会は本当にこうであると言い切れないが、私には信じ難くない。日本人の大半には人種差別の感情はないし、ちょっとある日本人の場合でも、本当にちょっとだ。それでも、大きな社会問題になっている可能性が発生する。解決策は明らかではないが、少なくとも日本人の差別精神を批判するのは、解決策は愚か、適当ではない。


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: