先日のイギリスの新聞のGuardianで、「Why have young people in Japan stopped having sex?」(「日本の若者は、なぜエッチを止めたのか?」)という記事が載る。趣旨はタイトルから分かると思うが、コメントで日本の経験がある人がその妥当性について議論している。その議論は、エッチを止めた理由についてだけではなく、エッチを止めたかどうかについてでもある。日本の事態を把握するのは難しいようだ。
理由として掲げられることは、「日本は欧米と根本的に違うので、欧米人には解るはずはない。」確かに日本の文化や事態が欧米と深く異なる。日本をアメリカと比較すれば、違う惑星であると思うほどだ。もちろん、共通点もあるが、相違点のほうが目立つのは否めない。その上、現代日本は先進国であるし、その上欧米より進んだ先進国として捉えることもあるので、経済や技術の差を相違点の原因とすることはできない。そして、日本の文化は面白い。「クールジャパン」は、日本政府の産物ではない。だから、このような魅力的で予想外な文化を見たら、「理解できない」と思う人は多いようだ。
このことから、欧米人が日本を誤解することは多いと思える。欧米の常識を日本に当てようとすれば、誤解することにつながるからだ。(同じように日本の常識で欧米を理解しようとすれば、失敗することも多いのは言うまでもないだろう。)しかし、欧米人だからといって、欧米の常識から脱出できないとは限らない。問題はより根本的で、日本人にも問題になる。
まず、体験を考えよう。一人の体験は、限られた範囲で取得する。そして、その範囲とかなり違うところもある。例えば、首都圏で生活すれば、島根県の事実は体験で把握しない。同じように島根県にいれば、東京のことは実感しない。外国人の大半は首都圏は阪神に住むし、私も例外ではない。でも、日本人も同じだ。定着した住まいをして、日本の一部しか体験できない。転勤などで日本の所々を点々移住すれば全ては把握できるかと言うと、そうではない。今回問題になるのは、あるところでただの短期滞在になるので、表面下の事実に気づかないことだ。そして、一つのところに長く住んでも、その近所のことを完全に把握できるとは思わない。特に都会では、周りには数百人、数千人、首都圏の場合数千万人が生活を送っているので、知らないことは大半であるのは確実だ。限界集落に住めば、その場所が分かるだろうが、他の限界集落でも違うので体験を一般化させるのは難しい。
では、統計データはどうだろう。重要だ。だから、川崎市で外国人市民実態調査を促進している。しかし、統計もすべてを明らかにしない。調査で統計を集めれば、表面についてしか尋ねられない。深いことについて尋ねれば、質問が紛らわしくなり、答えにくくなる。その上、答えの信憑性も劣る。答えを記入する人には自信はなければ、分析する人の解釈は怪しい。そして、質問の文言が大きく結果に影響を及ぼす。だから、統計の解釈を裏付けるために面接式の取材もする。ただし、面接できる人数は大変限られているので、体験の問題に戻る。
もちろん、研究を慎重に構築すれば、一人の体験より理解を深める。そして、研究の結果発表を読めば、自分の理解も深める。しかし、日本の実態はまだ把握できないと思う。重層的なことだから、一人の人間の把握能力を超える。だから、分からない環境で生活を送っていることを認めるべきだ。個人生活で、予想外な出来事が起こることにいつも配慮すべきだろう。政治家の立場は一層厳しい。国の実態が分からないのに、国益を高める政策を講じなければならないからだ。だから、先日に述べたように、政治家の多種多様は重要だ。一人一人で一部を把握して、一緒に諮ったらより一般的な把握に至れるだろう。研究者は、研究対象の範囲を狭めて問題を回避する。日本全体の把握を目指す研究家はいないだろう。
これは日本のことだけではない。殆どの国に当該する。南太平洋の数万人の島国の実態を把握することは、辛うじて可能であるとしても、国の大半は無理だろう。この事実に配慮しながら、この世に生きるべきだ。