把握不可能のグローバル社会

今日の投稿は昨日の投稿の続きにもなる。昨日、日本の実態は把握できないことを主張した。他の国も同じだ。だから、世界全体を考えたら、さらに把握不可能になる。ただし、より深刻な問題がある。グローバル化の結果、自分の近所の生活は、遠い外国の出来事によってすぐに影響される。身近な例は、ガソリンの値段だろう。円相場や原油相場の影響で、ガソリンスタンドでの値段がすぐに変わる。そして、普通のお店で海外に生産された品物は多い。無駄を削減するために、多くの小売店は備品を持たない。必要になれば、注文するからだ。だから、海外で何かが起こったら、近所のお店で結果がすぐに現れる。頑張って会社に勤めても、ニューヨーク取引市場の動きで、会社が破綻したり売却されたりすることは多い。生活に予想外の影響を及ぼすのは、把握できない自分の国だけではなく、全世界だ。

もう一つの例を挙げよう。先日、アメリカが債務不履行に陥りそうだった。幸い、間際で回避できたが、仮に陥ったとすれば、日本の経済へ大きな打撃になる。アベノミックスの効果が抹消されて、日本がまた不況に陥るのは確実だ。

昔から一般庶民は、生活に大きな影響を与える防げないことはあると思うが、現代のグローバル社会で、政府でも同じだ。国の運営は国家の権力と能力から逸脱している。戦争もそうだが、侵略するべきではないのは国際社会の常識になっている。(それも、「やっと」と言えば良いけれども。)しかし、大きな経済的な打撃を与える行為は、主権に関わる問題として捉え、外国の干与を強く拒むことは多い。アメリカの債務不履行問題もそうだった。このような問題を抑制するために国際条約があるが、ただ単に国と国のつながりをさらに強くして、問題の深刻化をもたらす。

問題と言っているが、別な側面から見れば歓迎するべきことだ。日本には旱魃が発生したら、アメリカから食糧を輸入して飢饉を防ぐことができる。世界の美術や芸術、技術や食事、音楽や服装が各国に流れて、全ての文化を豊富にする。

このような世界を拒否するのは良くない。むしろ、把握できないことと制御できないことを認めて、その状況下で生活を送るべきだ。日本人はこの事実に特に向いているのだろう。自然災害は多いこの国の風土に育てられた日本人の精神は、予想外のことがくる事実にいつも配慮すると言われるからだ。予想外の問題は、特定した形で予測できないが、影響の種類を考えれば、ある程度準備できる。失業の原因は様々だが、影響には共通点は多いので、備えられる。病気の種類が分からないが、病気に一般に対応できる。貯金、備蓄品、日常的な健康づくり、近所の人との絆は重要な事前の危機管理であろう。

国も同じ窮地に押し込まれている。だから、国も同じように思わぬ危機に対応できるような準備をするべきだろう。

しかし、国でも市民でもこのような準備は不十分であると心配せざるを得ない。


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