『城内実君と明日の日本を語る会』

会場に飾られた看板昨日、初めての政治資金パーティに参加した。この四年間英語を教えさせていただいている城内先生のパーティで、完全招待してもらったので、私からのお金は渡されていなかった。だから、政治資金規正法には問題が発生しません。実は、このパーティには外国人は多かった。城内先生が各国の駐日大使を招待したが、80ヶ国の大使が出席したそうだ。その上、複数の国の大使館から食べ物や飲み物も提供してもらった。

このようなパーティは初体験だったので、どうすれば良いか分からなかった。人の流れに任せることは多かった。だから、最初と最後に城内先生と挨拶して、パーティで会場を回った。あいにく、私はこのようなイベントに弱い。人に声をかけることはすぐにできないからだ。大学の時代からずっとそうだ。その上、見た目で分かるように外国人だから、日本語ができるかどうか疑う人が声をかけてくれない。このパーティでまた躊躇する理由があった。先に述べたように、大使や外交官は多かった。だから、私が声をかけたら、大使であると思い込む人もいるだろう。会話の最初の段階でその誤解を払拭するのはちょっと辛い。さらに、特に資格はないので、声をかけることにさらに躊躇する。「資格」というのは、相手には私と話す価値を作ることを指す。それでも、最後の方に声をかけてもらったきっかけに、何回も声をかけてもらったので、名刺をある程度集めた。また参加させていただいたら、より積極的にするつもりだが、また躊躇する可能性は高い。

ライブ演奏もあった。それはHeaveneseという団体だった。音楽には活気があったし、太鼓も尺八も三味線もあったので、日本の伝統的な音もあったが、服装は独特だったし、現代風の音楽でもあったし、そしてキリスト教の歌詞だった。後で見本のCDやDVDをいただいたし、チラシでキリスト教の団体であることが分かった。ちょっと懐かしい感じだった。私は、十代にキリスト教の原理主義者だったので、このような音楽や歌に馴染んだ。日本の政治資金パーティで再会するとは思わなかった。そして、日本色は濃いし、神道も取り入れられているので、新鮮な感じだった。この参加で城内先生の性格の一部が表されていると思う。つまり、保守派であるものの、新しい創造には抵抗感はない。とにかく、とても楽しい催しだった。

そして、国会議員が数十人参加したそうだし、最初の挨拶に立ったのは、石破自民党幹事長を始め、閣僚が九人程度短く話した。その一人によると、このようなパーティで閣僚9人が出席して挨拶するのは稀であるそうだが、私には比べられる経験はない。もちろん、挨拶で城内先生を褒めたが、そう言うつもりを待たないとパーティにそもそも出席しない。だから、内容より人数は重要だろう。城内先生は、自民党のトップによって大事にされているようだ。

挨拶の最後は、城内先生のスピーチだった。「来てくれてありがとう」に加えて、自分の政治的なビジョンも披露した。短かったが、二点は取り上げたい。まずは、日本の国際社会の中の地位について話した場合、日本には軍事力は要らないと言った。その代わりに、多面性のある文化や友愛などが重要だと述べた。私もそう思う。軍事力より、外交のほうが国際社会の基盤を固めると思う。そして、「本当の自民党」について語ったら、「チェーン店もあれば良いが、のれんを受け継いだところも良い。だから、大企業、中小企業、零細企業が共存して、別々の規則があると良い」のようなことを述べた。正しくその通りだと思う。このブログでこのことについて書いたがあるし、これからも書く。大企業と零細企業が共存するために、大企業に制限を課す必要があると思うが、零細企業にも規則は必要だが、耐えられない負担にならないように気をつけなければならない。

これで、不思議なことがまた浮き彫りになった。城内先生は、自称保守派で、右翼である。私は、改革派で、左派であると思う。それにも拘らず、政策について城内先生と賛同する点は極めて多い。もしかして、国益や世界の発展を真摯に考えれば、保守派でも進歩派でも同じ結論に至る問題は多いだろう。要するに、明らかな問題の解決策は保守や進歩を問わずに同じだから、共有する政策は当然多い。それとも、私は実は保守的な考え方だろう。

城内先生は、信念を貫く男と自称するが、本当にそうだと思ってきた。これからますます活躍してほしいし、将来に首相になっていただきたいとも思う。


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