Kannagaraの進捗状況

Kannagaraの開発は進んでいる。今の時点で、ゲームの概念を具現化させている。つまり、最初の話を作っている。遊ぶ人は「プレーヤー」と呼ぶが、いつかこのブログでこのような単純なカタカナ語への不満について書きたいのだ。だから、新作の漢字言葉が望ましいと感じるが、私が作成したら批判を集めるだろう。軌道に戻ろう。Kannagaraで、プレーヤーは平等な立場にいます。ゲームや背景をよりよく知っている審判者や演出家のような存在はない。そして、舞台は日本で、具体的に神道の文化で、対象者は欧米の英語圏の人だ。要するにゲームの内容について何も知らない人だ。

すなわち、内容が分からない人同士で日本の神道を正確に描写する話を作らせる。

一見に無理に思われる目標だろうが、そうではないと確信している。ゲームの構造と素材でプレーヤーを支援して、可能にする。ゲームの世界に生きているパソーナという登場人物をプレーヤーが演じる。パソーナが何をするかは、原則としてプレーヤーが決める。しかし、最初にどうすれば良いかは分かるはずはない。神社の境内にいると言われても、それで何も思い浮かばない。その上、遊ぶ前に神道や神社の入門書を読ませるわけにはいかない。(確かに既存のTRPGは入門書の役割を担う本を読ませるが、その方法は避けたいと思う。)だから、最初の問題は、パソーナはどうすればいいかを明らかにすることだ。

だから、ゲームの構造で、最初の行動は命じる。その上、最初の行動は環境を検討することだ。境内を見て、社殿を見て、鎮守の森を見て、などなど。検討する行動の結果で、神社の様子が分かってくる。パソーナが何かを見つけて、他のパソーナに説明するので、プレーヤーが積極的に必要な知識を互いに紹介する。派遣できることを提供するので、プレーヤーがその中からパソーナが発見したことを選ぶ。そして、発見に基づいて真情や計画をパソーナが立てる。これも、ゲームの構造で決めるので、プレーヤーはまだ知識を必要とする選択はない。

この時点で、プレーヤーが初めてどうするかを決める。ただし、この時点ではっきりした選択肢があるので、選択肢があるものの、戸惑わない。お互いにより有利な選択肢について論じられるが、結局行動を選択する。

ここで、提供する発見できる様子が焦点となる。頭の中でパソーナの環境を描写しなければならないが、それができるように写真やイラストは必要なのではないかと思ってきた。例えば「鳥居」を言葉で説明しようとすると、長くなっても意味不明なところが残る恐れがある。鳥居の写真をゲームに載せたら、問題が解決される。つまり、イラストが私のゲームに必要不可欠になると思ってきた。


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