誰でも趣味を持っているだろう。しかし、趣味を知られないでほしい人も少なくないだろう。もちろん、趣味は連続殺人であれば、それは当然だが、他の例はある。例えば、先日私が真由喜と一緒にプリキュアの映画を見に行った。私は、真由喜なしに見に行くつもりはない。ただし、人の好みはそれぞれだから、プリキュアのテレビアニメや映画が好きな40代の男性も存在するに決まっている。その男性は、堂々と趣味を言えるのかな。
しかし、趣味を堂々と言えれば、良いことがある。二つの例を挙げる。
一つ目は、北川景子さんのことだ。ブログで、宝塚歌劇団のファンになったこと、そして蘭寿とむさんのファンになったことを披露した。その結果、蘭寿とむさんの取材をしたり、二人でSMAPxSMAPに出ることになった。北川さんの趣味が分かった人がそれに添った経験を提供するように取組んだ。仮に北川さんが趣味を秘密としたら、蘭寿とむさんと会ったことはないだろう。
もう一つは、自分の経験だ。このブログで神道や神社に興味を持っていることを披露している。6月に隠岐島で撮影した場合、私の暇で島の神社へお参りできた。それは、監督がどの機会を確保してくれたからだった。もちろん、神社への興味を秘密としたら、そのことはなかった。
実は、北川さんのファンであることを披露したことからも良いことがあった。握手会の参加券を取るためにレッスンの変更を願ったら、生徒さんが分かってくれたことだ。残念ながら、まだ北川さんと直接に関わる良いことはないけれども。
だから、趣味を気楽に公表できる環境は重要だと思ってきた。40代の男性でも、プリキュアが好きであるのは悪徳なことではない。私には好きではない作品が好きな人は多い。少女向けの作品でも、少女以外が好きになることもあるはずだ。堂々と言えたら、映画を見に行くことがより簡単になるし、他のファンとの連携も結び易くなる。そして、製作している人も、思わなかったファンの存在を知って、別な商品を発売するだろう。
問題は、このような環境をどうやって作るかということだ。これは自由の一つの側面だと言えるが、これは国家の管轄に入らない問題だ。国家の責任はただ無用に趣味を違法としないことにとどまる。40代の男性はプリキュアが好きであっても、犯罪ではないので、国家の責任はもう果たしている。問題は社会的な態度にある。社会の態度を変えるのは難しい。そして、特定した行為を容認してもらうことは難しいとはいえ、不特定多数の行為の容認を促すはさらに難しいだろう。
他の人を評価する精神をなくすことはできないと思うが、社会の環境を変えたら、ある程度抑制できるじゃと思う。しかし、どういう風にそのことを促進するかは、今のところ具体的な提案はない。もう少し考えて、また投稿したいと思う。