遊動生活:連絡先

遊動生活の実践的な問題の一つは、連絡先だろう。現在の通信技術で、携帯電話を持てばどこでも連絡は取れるが、携帯電話を持つために住所が必要になることは多い。通信販売もそうだ。届け先はない限り、注文できない。

この問題の解決は、主に民間に任せるべきだと思う。なぜなら、任意に使うサービスであるからだ。このようなサービスは、国家が均一して提供するのはよくないと思える。民間で、使い易さを競って向上を実現できるし。それでも、行政にするべきことがある。それは、住所はない人が借りられる連絡先や届け先を受け入れる義務を課すことだ。連絡先はこのような会社であることを理由に取引を拒否することを禁じるべきだ。そうしないと、まだ未定なリスクを背負いたくない会社の億は遠慮する恐れがある。この点で会社はある意味で悪くない。リスクを避けるのは営業の常識の一部だからだ。しかし、その当然な考え方で国民の自由が制限されれば、行政が関与するべきだ。このような制度を利用して、なれて行けば、リスクをちゃんと測ることができる。このような届け先には特別な手数料がかかる可能性もあるが、500円未満であれば認めるべきだろう。郵便物も、宅配便も、簡易書留もこのような届け先に届けられるように義務を課すべきだ。

そして、届け先を提供する側にも義務を付けなければならない。一つは、当然、住所なしの行政が発行する身分証明書を受け入れることだ。住基カードを持っている遊動する人なら、契約を結ぶことができるのは必要不可欠だ。

業者が提供するサービスは、郵便局の郵便私書箱に似ているが、重要な相違点がある。まずは、一つの場所に限るわけにはいかない。つまり、連絡先や届け先を業者で作成したら、業者に届け出したら物理的な届け先を変更できる制度は必要だ。そして、郵便私書箱のようにほぼ毎日届け物をとる条件は設定できない。もちろん、物理的な問題がある。生ものは、すぐに受け取られていないと腐るが、規則によって変えられない事実だ。遊動生活には、住み着いた生活にはない不便が発生するが、逆の場合もある。生ものの届けは難しいことは、その不便の一つだ。もちろん、契約には保留する届け物の量の制限も、保留する機関の制限も設けても良いが、実に使えるような制限が良い。

一つの心配は、犯罪を犯したら犯人は見つからないのではないかだろう。確かにそうだが、現行の制度でも同じ問題があるし、犯罪は可能であることを理由に自由を制限するのは原則として許せない。犯罪以外の用途はない場合は別だが、このように殆どの人が合法に使うはずなサービスを禁じるわけにはいかない。

このようなサービスがあれば、住み着いた人も使う可能性はある。住所を公開したくない人やよく旅する人が使うだろう。予想できない使い道もあるはずだ。ごく一部の人の自由を保障する政策は、多くの人の自由も拡大することは少なくない。


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