平成25年を振り返って

大晦日になったので、今年を顧みるのは定番だ。

真由喜が内裏様の雛人形を丁寧に置く先ずは、真由喜の成長は目覚ましかった。当然であるが、自分の子で見れば、より実感する。2月に自分の雛人形を飾ることに手伝えたが、それから大人になる芽生えがあった。自分の意見を述べる時に理由をちゃんと付けるようになったし、周りの人に配慮するようになった。9月の旅の電車の中で自分の絵本を作成した。そして、真由喜が日本舞踊を辞めたが、バレエを始めたし、今のところやる気はまだ持っているようだ。私は、将来に日本舞踊に戻ってほしいけれども、それは私だけの思いだろう。

三人で着物姿で神社の石段に座ってもちろん、七五三も祝ったが、それは最近のことで今年の最高の一点だった。ゆり子のご家族が名古屋から、私の家族はイギリス、アメリカ、カナダから集まってくれて、珍しく全員揃って祝えた。対面する機会は当然少ないので、貴重な時間だった。家族の絆は大切だから、また強められて良かった。

海に降りる階段に立つ真由喜核家族でも、日常生活の場を離れて楽しめた。真由喜と二回の二人旅も出来たし、家族三人の旅行も二回できたので、良い思出は沢山残る。二人の旅は温泉旅館への旅であるが、それはもう定番になっている。秋の熱川温泉への旅の行き先は、真由喜が私が提供した選択肢から選んだので、これからさらに話し合いの形にしたい。仕事は忙しいので、意識して一緒の時間がとれて良かったと思う。そして、家族で北九州市にも下関市にも行けた。それは出張のおかげだったので、日本論理検定協会に感謝申し上げなければならない。

日本論理検定協会の仕事と言えば、今年も進化した。中央大学で講座も検定も提供したが、夜に開催された講座への出席者は少なかったとは言え、積極的に内容と取組んでくれたし、検定での得点が伸びた。測定方法についても教える方法についても貴重な知識や経験を得たので、飛躍的な経営発展はなかったといえども、一年として悪くなかった。

他の仕事も順調だった。英語教師の方で生徒さんが続けてくださったので、まだレッスンには価値があると思っていただいているようだ。Ars Magicaの編集も進んでいるし、今年も4冊は出版できた。(4冊目はギリギリだったが。)ファンからの反応も良いので、一年間の仕事に満足感がある。そして、もう一つの仕事はKannagaraだった。

白石の車の前に立っている私新しい旅想(TRPG)をゼロから発想することは、前から大変であると思ってきたが、もしかして予想以上難しかっただろう。6月から公開したが、ずっと1月から考えて開発していた。やっと、年末の前に旅想できる状態になって、最初の試しはできた。これも満足であると言えよう。

Kannagaraは、ご存知の通り、神道を基盤とする旅想だが、神道と関わることもあった。今年の伊勢の神宮の式年遷宮の行事に参加できた。それは8月の御白石持行事だった。20年に一度の機会だから、友人の紹介で参加できて本当に良かった。家族で内宮の新しいご正殿を肉眼で見えたが、他の機会はない。

それ以外、東京国立博物館での大神社展にも二回行けた。一回目、氏神様の白幡八幡大神でいただいた招待券だったし、二回目は神社本庁の協賛員の招待だったので、入場料を払わずにも見えた。6月の神社検定弐級にも合格した。知識も経験も深めて、この側面で本当に良い一年間だった。

隠岐島の風景このブログで神道について書いたおかげで、NHKのJourneys in Japanという番組で演出も出来た。隠岐島に旅行できたし、優れたスタッフさんと充実した時間を過ごした。私にとって、結果の作品は恥ずかしくないが、評価はもちろんできない。機会があれば、またやりたいと思うが、芸能界でキャリアをしたくない。たまに出るのは充分だ。

芸能界と言えば、8月に北川景子さんと対面できたことは忘れてはならない。それも良い思出になっている。

この一年間には難しいこともあったのは言うまでもない。特に仕事と家族のバランスをとるのは難しかった。まだ正しく出来ていないと思うが、簡単な解決が存在しない問題だ。途中で悩ましかったが、結果を考えれば一応出来たと思う。家族との楽しい思出は一杯だし、仕事も進んできた。

今年も、良い一年だった。

美星女先士

今月8日に、北川景子さんがブログで年をとることは素晴らしいと述べた。失敗を重ねて、若さと可憐さの代わりに逞しさを得るからだという。ここでファンが「まだまだ若さや可憐さは充分備えているぞ」と言うのは定番だろう。

ただし、私は言えないかもしれない。最近ファンの義務を怠ったような気がする。前述のブログの投稿でファンへ質問をかけていただいたのに、応えられなかった。最近、せっかく続けていただいているFacebookを読んだり、書き込んだりもしない。初カレンダーさえまだ買っていない。(そして、売り切れになったようなので、買わなかったことになっているみたい。)カレンダーの置く場所もないと思ったが、本当のふぁんならどうやら確保するに違いない。一番酷いことは、10月からのドラマを見るのは遅れている。ルームメイトを見に行かなかったし。昨日もイベントが開催されたが、応募するための商品を持っているのに、応募しなかった。大義名分にしたかったら、8月に会えなかったファンに機会と譲ったと言えるが、実は仕事が参加を許さず、応募する為にさえ余裕はなかった。トークショーだったようだから、残念に思わざるを得ない。もう失格。

まぁ、年末の休みに入ったので、少なくとも『独身貴族』を見ることはできる。そして、来年の映画を見に行くつもりだ。『ジャッジ!』と『悪夢ちゃん』は見たいと思うし、後者は真由喜と一緒に見なければならない。

でも、ちょっと待って。

この考え方は遺憾。

趣味は、プレッシャーを感じずに楽しめることは良い。日本で言われるかどうか分からないが、アメリカでよく言われたのは次の通りだ。趣味を仕事にすれば、その日から「仕事」をしないで済める。これは嘘ではない。趣味が仕事になれば、仕方のない仕事として感じない。ただし、まだ仕事だ。締め切りがあるし、努力しなければならない。そして、単純に趣味として楽しもうとすれば、いつも仕事関係の課題が思い浮かぶ。私の趣味の殆どが仕事と絡み合ってきた。その結果、仕事は楽しいが、完全にリラックスできる趣味が激減した。(北川さんはよく映画を見ると言うが、北川さんにとっても完全な娯楽ではなくなっただろう。これは宝塚にはまってきた理由の一つだろう。宝塚歌劇団に入団できるわけはないからだ。)

北川さんが私の仕事と絡み合う可能性は極めて低いので、純粋な娯楽の趣味の候補として有力だ。だから、可憐な女優を応援したいといかに思っても、その応援が義務になってはいけない。北川さんはもう立派な大人になって、私の応援はなくてもさらに上昇するはずだ。楽な気持ちでこれからの作品を楽しむことにしよう。

ところで、立派なアラサーになったと言えば、、美少女戦士セーラームーンの時代からの戦士役の五人が集まったとの報告があった。当然、「10年が経ったって、信じられない」のような内容があるし、「もう美少女と呼ばれない」のようなこともあるが、あの5人が今でも仲間であることは確かに素晴らしい。5人もまだ芸能界で活躍中だし、キャリアの間には差があるものの、まだお互いに応援できるのは凄いと思う。一年間、一緒に挑戦した作品が一生揺るぎない絆を作ったようだ。今でも素晴らしい作品だと思うし、素晴らしい稔りもあったようだ。10年後のスペシャルドラマは見たいな。戦士の力は失ったし、ドラマの出来事は歴史から切り離されたので、普通の人間で不思議な過去を共有する5人になる。かなり面白いドラマは出来ると思う。

勝手な思いを楽に楽しむ。

靖国神社の鎮霊社の行方

先日の安倍首相の靖国神社の鎮霊社への参拝で、この神社が注目を浴びたと言えよう。これからどうなるだろう。ここで、私の希望が述べたいのだ。

先ず、鎮霊社への参拝が靖国参拝の一部であることは恒例になってほしい。伊勢の神宮で先ず外宮に参拝して、そして内宮に参拝するように、靖国神社でまず本殿に参拝して、そして鎮霊社に参拝する過程が定番になれば良い。特に、靖国神社へ参拝する国会議員や閣僚が安倍首相の前例に倣ってそうしてほしい。これが靖国参拝の一部になったら、一般市民が戦争で死ぬことは忘れないので、戦争を美化する傾向が抑えられるだろう。

そして、鎮霊社の再建もしてほしい。現在の鎮霊社は小さな祠なので、正式参拝するのは難しい。昇殿参拝は物理的に無理だと思う。だから、本殿、幣殿、拝殿の形で少なくとも百数人が参拝できる形は見たい。このようなことは参拝をやり易くするだけではない、一般市民の犠牲者の重要性をより強調する。つまり、実践的な意味だけではなく、象徴的な意味もある。

もちろん、このような立て替えにかなりな費用が必要だし、政府が支援するわけにはいかない。政教分離は、戦争の犠牲者を祀る神社にも及ぶからだ。だから、一般市民を祀る神社の立て替えのために、一般市民から浄財を集めなければならない。このような運動があったら、靖国神社が連想させる事実もちょっと変わると思えるし、靖国神社を肯定的に思う日本人も増えるかもしれない。そのような運動があったら、私は寄付すると思う。戦死した一般市民や日本軍によって殺された人々を慰霊して覚えるのはとても重要だ。戦争の悲劇や惨禍をきちんと分かるために、そうするしかない。(イギリスには、鎮霊社に相当する施設はないと思うが、あるべきだ。)

最後に、靖国神社の本殿には名簿がある。時々訴訟の対象になるが、戦死者の名前がちゃんと記録されている。鎮霊社には名簿はないので、作ってほしい。そして、鎮霊社の本殿の後ろに名簿を閲覧できる施設も良い。もちろん、世界中の全ての戦死者を名簿に記載するのは無理だから、最初にそうしなくても良い。最初の段階として、日本人の犠牲者と日本軍に殺された戦死者を名簿に記載したら良いのではないか。日本人の犠牲者と言えば、原爆でなくなった人の名簿はもう広島で存在しているので、それをベースにできる。同じような記録は地方毎に存在するかと思うので、祖力すれば可能だと思う。

日本軍に殺された人の名簿はもう少し難しい。先ずは、アメリカ人やイギリス人、つまり大東亜戦争で敵だったが今仲間になった国の犠牲者を記載する。そして、日清戦争や日露戦争の歴史的な戦争のロシア人や台湾人を記載する。韓国や中国の犠牲者を記載するために、その国の政府の協力が必要となると思うが、それは良いことだ。韓国政府が靖国神社の摂社の名簿と協力すれば、靖国神社をただ単に軍事主義を賛美する施設として扱えなくなる。外交的な問題が穏和する。

名簿があれば、鎮霊社で戦争の惨禍を把握できるようになる。犠牲者には名前と顔があれば、共感が湧いてくるからだ。靖国神社にはこのような施設が会ったら、本当に靖国を祈り、平和を祈る神社になると私は思う。

安倍首相の靖国参拝と鎮霊社参拝

では、昨日の投稿は安倍首相の参拝の前に書いたので、当然参拝について直接に何も言えなかった。今日の投稿で、その参拝に対する私の見解を説明する。

先ず、参拝しないほうが良かったと思わざるを得ない。近隣国の反応は不合理であるといえども、参拝する前に予想できた反応だし、今のところ地域の緊張感を増すべきではない。特に、先日南スーダンで自衛隊が韓国軍へ銃弾を一万発を提供したことで、日本と韓国の軍事的な協力があって、関係の改善につなげられたかもしれない。その可能性はもう失ったのは言うまでもない。正直に言えば、中国に配慮しても近い将来に関係が改善することは期待できないが、韓国は違う。安倍首相はいかにも個人として靖国神社へ参拝するべきだと思っても、国の指揮者としての責任を持って、我慢するべきだったと思う。

それでも、参拝の仕方を高く評価する。

鎮霊社に参拝したことはもちろん評価する。昨日の投稿でその理由を語ったが、鎮霊社で安倍首相が二度と戦争の惨禍によって人々が苦しまないように誓ったのは、鎮霊社の前であったことは特に相応しい。参拝を客観的に見れば、靖国神社への参拝で「本当に」戦争をまた犯す意思が表されていると主張したら、鎮霊社への参拝が何を表すかは言わざるを得ない。もちろん、鎮霊社への参拝はただの建前だったと言えるが、証拠はない。私が知っている限り、前例はない。靖国神社に参拝する殆どの人は、鎮霊社の存在さえ知らないと思う。そして、記者会見で靖国神社の本殿への参拝より、鎮霊社への参拝を強調した。参拝を解釈すれば、鎮霊社参拝も考えなければならない。

ところで、誰が鎮霊社参拝を提案したかは、知りたいのだ。安倍首相自信が鎮霊社のことを知って発案した可能性はあるが、誰かに提案された可能性は高い。もしかして靖国神社の徳川宮司なのではないかと思う。鎮霊社で、徳川幕府の側で戦死した日本人も祀られるので、徳川宮司が鎮霊社のことを深く理解するはずだ。しかし、これはただの発想に過ぎない。

鎮霊社参拝に加えて、安倍首相が一人で参拝したそうだ。(もちろん警備員も同伴した。)他の閣僚や議員と一緒に参拝しなかった。つまり、参拝の規模を抑えた。報道されるのは分かったが、最低限にしたのではないか。

そして、日にちもある。12月26日は、第二安倍政権の発足の一周年の日だったが、大東亜戦争の重要な出来事に当たらないし、国家神道の時代から継続された祭りとも当たらない。安倍首相にとって重要な日だから、参拝するきっかけは分かりづらくないが、そのきっかけと戦争の間に関係はない。

だから、参拝の詳細を発案したところ、安倍首相が近隣国にかなり配慮したとも思わざるを得ない。だから、参拝は間違いだったと思うが、真摯に近隣国に問題を起こさないように努めたとも思う。果たせない目的であったのは本当に極めて残念である。