共同体

このブログで二つのちょっと矛盾すると思われる理想が掲げる。一つは、個人的な自由だ。人が自分の人生の計画を考えて、実現する権利も能力も環境も保障するべきだと思う。もう一つは、共同体の昂揚だ。人間が孤立すれば良くないと思うし、自由の保障するために周りの人の協力は必要だし、その協力を得るために共同体の一体感は必要なのようだ。普通に抽象的な概念から人を助けない。むしろ、何かの繋がりが感じるから助ける。だから毎日子供が餓死する事実を知っても、強く行動を促さないが、目の前に子供が飢えていれば、すぐに助ける。これは良いか悪いか決めないが、事実なのようだから、自由を保障したければこの傾向を認めて、使わなければならない。

ただし、一体感は自由のためのことだけではない。人間にはいいことだそうだ。人間は、他の人との絆がないと憂鬱になる傾向があるそうだ。もちろん、自由を重んじれば一体感を強制するわけにはいかないので、自由に共同体を選ばせるべきだ。

こういう風に自由と共同体を両立するために、共同体の形を考えなければならない。共同体に入るために、ある程度他の人と共通する行動や価値観を持たなければならない。だから一体感の強い村社会はよく自由を抑えると言われる。置かれた共同体と違和感を感じれば、むしろ大きな問題になりうる。何の共同体でも、離脱する権利を保障しなければならない。

そして、共同体の間に対立が簡単に発生する。これも、人間の根本的な心理から発生するようだ。人間は、内と外を本能で分けるそうだ。自分の共同体の仲間を支援するが、他の共同体の人を敵として捉える傾向は強い。この傾向は戦争まで繰り広げる。もちろん、世界中には一つの共同体しかなかったら、この問題はないが、共同体を統一すれば自由に大きな損害がある。この問題を解決するのは課題となる。

私が考えた解決策は、複数の重ね合う共同体だ。つまり、一人は複数の共同体の一員になるが、その複数の共同体には他の共有する人はないか、少ない。このような形があれば、二つの共同体の間に軋轢が発生すれば、共有する人はいなくても、別な共同体でこの二つの共同体の人が一緒になる可能性は高い。例えば、二つのサッカーチームの応援団の間に軋轢があって、暴力までエスカレートするようになるとしよう。しかし、別々の応援団に入っている人は一緒に会社を立ち上げている。その場合、その二人はサッカーの共同体での軋轢を好ましくないと思って、和らぐように努めるはずだ。他のメンバーが別な共同体で絆を持てば、軋轢を早く抑えようとする動機もあるし、方法もある。

一方、自由の側面から考えれば、このような社会で隣に住んでいる人と別な共同体にも入るのは当然なことであるので、共同体で自由を抑えることも難しくなる。会員の一部がそうしようとしても、他の会員は自分の別な絆を考えて反対するからだ。

このような社会を促進するために、複数の共同体の会員になることを促進するべきだ。前にこのブログで提案した二つの勤め先の政策も、このことに貢献する。二つの職場だあれば、その両方には忠誠心を持つかもしれないが、社員が殆ど共通しない。家族もまた一つの共同体になる。そして、趣味などで組んだ共同体も貢献できるだろう。実は、このような網が国境を越えるべきだ。そうすれば、戦争が少なくなる。そのために、多国籍企業が貢献するだろうし、重複国籍も貢献する。

しかし、このような効果を期待できる共同体はちょっと限られていると思える。例えば、同じ芸能人のファンクラブに入っているからと言って、必ずしも一体感を感じるとは限らない。だから、どういう共同体は適切であるかについても考えたいと思うが、それは後日の投稿に任せる。