七五三の公共性

三人は着物姿で、日本庭園の石橋の上に揃う
江戸時代の家族か
先日、その江さんに撮ってもらった写真が届いた。真由喜の七五三の可愛い写真は一杯ある。神社の中庭で撮らせていただいた写真で、現代風のものは殆ど見えないので、江戸時代へのタイムスリップかと思う。その江さんが自分のブログで他の写真をアップしてくれたので、興味があればぜひご覧ください。

その江さんがブログで書く通り、世界中から集まってくれた大家族で祝えて良かったし、氏神様になる白幡八幡大神で執り行っていただいて良かったと思う。家族の絆を新たにして、そして地域社会との絆も再確認できた。通過儀礼として、最高だった。その江さんは次回は成人式かと書いてあるが、関西から習慣を輸入して十三詣りをさせるかなと思う。それでも6年先だから、真由喜はもう「また着物を着るのはいつ?」と聞いている。

そして、ちょっと遅れてきた『神社新報』の読書で、七五三を取り上げる社説を読んだ。この社説は、日にちにばらつきが発生したことを憂えとして、七五三詣での公共性を強調する。つまり、七五三詣では、地域社会に子供が成長して仲間入りすることを象徴する儀式として位置づけている。この側面があるのは否めない。特に、論説で薦めている氏神様での祈願祭の斎行は、私も推進したいのだ。そのように近所の絆を強めるのは重要だ。

ただし、それだけではないと思う。七五三参りには家族の儀礼の要素も強いと思う。家族の儀礼のために、子供の周りに大家族で住人程度を集まってもらえると良い。それは、もしかしてお盆休みやお正月に帰省するときにしかできないので、伝統の11月15日から外れる。(伝統とは言え、江戸時代は霜月15日だったので、現在の12月に当たる。)写真も重要だし、家族に参加できる日で写真館は忙しくない日に移すのは当然だ。そして、家族の儀礼に別な家族も参列するのはいやだろう。結婚式で同時に数組を結ぶわけはないが、七五三はそれほど違わない。

ここに矛盾があるが、解決策は明らかだろう。公共的な儀式と家族の儀式を分けて行えたら良い。つまり、家族の儀礼は今のままで、便宜の良い日に執り行って、そして地域社会に公表する要素は強くない。そして、11月15日に近い日に、氏子区域の年齢に相当する子供を一斉招待して、中祭として七五三感謝祭を執り行う。この総合感謝祭には着物を着てもらえることは少ないだろう。借りる費用は些細なものではないし、家族祝いを優先するのは当然だと思う。少なくとも、導入した時点でそういう風になる。地域社会の祭りとして土着すれば、より晴れ着で参列する子が増えると見込めるけれども。

一般の人は、公共性を帯びる七五三詣でと違う形の七五三が欲しいので、それを提供すると良いのではないか。同時に、公共性のある祭祀も提供すれば、両方の利点をえるのではないかと思う。


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