抗議デモの本質

先日、石破自民党幹事長が自分のブログで特定秘密保護法案に反対するデモの本質のテロと違わないと書いてしまって、騒がされた。本人がもうこのコメントを撤回したし、言論の自由の重要性を再確認したし、私も国会の周辺でデモを見たのでどれほど嫌になるかはよく分かるので、このコメントについて攻めない。むしろ、別な比較を挙げたい。

黒海周辺の抗議デモの本質は、国会議員の靖国参拝とほとんど変わらないと思う。

靖国参拝の主な目的は、国家のために貴重な命を捧げた英霊に感謝や敬意を表すこととしよう。少なくとも大義名分だし、参加する人は多くそう思うのではないか。抗議デモの主な目的は、重要な信念に忠実にしていることを表すことだ。デモの効果は直接ではないし、逆効果がある場合もあることは、参加者でもよく分かるが、特に民主主義の国で本意をはっきり表すのは重要だ。気持ちは、英霊への敬意とは大きく変わらない。両方は、自分より大きくて、公共的な役割を持つ存在を擁立するためだ。

もちろん、それだけではない。重要な役割は、自分の意見に反対する人に、その意見を持って、恥としない人はいることを強調する。抗議デモの場合、議員会館の中で働こうとする議員に強調したいだろう。靖国参拝の場合、国内の左派も隣国にも強調したいようだ。密かに参拝したら、それは別だ。だから、ただの個人で、特別参拝せずに神前に立って拝礼すれば、それは抗議デモと同じではない。しかし、団体で自国を事前に知らせて、神職と一緒に神前へ行進する場合、それは必ずマスコミに報じられ、隣国に伝わることは明らかだ。そして、この反対する人には嫌な気持ちになっても、気にしない。相手の意見は不適切だと思われるので、妥当な意見の強調を嫌に感じることは不合理だと判断されるからだろう。

もう一つの共通点は、企んだら対象は同じであること。対象は、反対する人ではない。そして、主に賛同する人でもない。実は、中間層である。まだ特に意見はない人には、模範を見せて、自分の妥当性を強調して、自分の見方にしてほしい。このような意見を誇りとする人がいることを公開して、そして意見の魅力を見せて、新しい見方を募ろうとする。

抗議デモもそうだし、靖国参拝もそうだし、神社の祭りもそうだし、お寺の行事もそうだし、五輪にもこの要素も入っている。だから、これは悪いことではない。むしろ、良いことだ。自分の意見を発信することは、特に民主主義には必要だ。原則として、促進したい。もちろん、私と違う意見を持つ人には意見を変えてほしいが、変わらない限り積極的に発信すると良い。


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