神社護持の実現

先月は忙しかったので新聞などの読書がちょっと遅れている。今のところ、先月上旬のものを読んでいるが、『神社新報』で気になる出来事があった。

京都市に鎮座する神社が神社本庁の被包括関係から離脱した。この神社は、包括されたときいわゆる別表神社だった。別表神社というのは、特に崇敬が篤い神社とか、特に歴史がある神社などの資格だ。規則上の結果は、別表神社は神社本庁の直轄に入ることだ。つまり、県神社庁の管轄から独立する。事実上、ある種の名誉の資格になっていると言えよう。神社本庁に包括されている8万の神社の内、別表神社が数百社にとどまる。つまり、重要な神社である。(だから離脱が『神社新報』で報じられただろう。)

離脱の理由は、神社本庁が境内の用途変更に許可を与えなかったことだったようだ。神社本庁と被包括関係を持っている神社は、境内などの大きな変更には、神社本庁の許可は必要だ。神社は宗教法人で、法人の規則にはその必要性が定まる。しかし、宗教法人法で、被包括関係を持っている宗教法人には離脱する権利は保障される。宗教法人の役員が決定すれば、被包括関係を切ることはできる。この神社がそのような措置をとったそうだ。

『神社新報』によると、問題の背景は次の通りだそうだ。神社の本殿には修理の工事が必要となった。しかし、神社の経済力は足りないので費用を賄うために境内値を借用させるつもりだ。最初は、老朽化で修理が必要になった本殿を廃止して、その土地を貸し出すつもりだった。その場合、ご神体を現在の拝殿に遷座する予定だったようだ。しかし、神社本庁が拒否したので、別な措置を考えた。今回、社殿が遠い方の参道にマンションを建ててもらうことにした。神社本庁がまた拒否したが、今回神社が決行して、神社本庁を離脱した。本殿の修理を実現したようだから、費用を賄わなければならない。京都市議会もこの建設に反対しているそうだが、合法な計画だから、止めることはできないという。

神社本庁の立場がよく分かる。重要な神社の境内を一旦損なえれば、すぐに回復できない。特にマンションを建てば、居住者を皆出させて、解体工事を行って、そして木々を植えたり、参道を補整したりしなければならない。大規模な工事だから、財政難に陥っている神社にはそうする経済力があると期待できない。他の措置で迫っている危機を乗り越え、将来のために環境を護持した方が良い。

ただし、危機があれば、対応しなければならない。理想的な解決は氏子や崇敬者から寄付金を集めて工事を行うだろうが、この神社はこの方法をもう試みたはずだ。工事を怠ることもできない。本殿が倒れたら、それも大問題だろう。神職の生活を維持することも必要不可欠だ。職員がいれば、解雇は一つの手法だが、それは人の人生に大きな打撃を与えるので、境内を変えることよりましであるかどうかは少なくとも不明。

このような問題で、神社本庁が経済的な援助を提供すれば良いのではないかと思う。包括法人として、そもそも被包括の神社のために存在するのではないか。だから、危機の場合、乗り越えるように援助して、それから立て直しに貢献すれば役割をよく果たしていると思う。実は、東日本大震災の被災地の神社や福島第一原子力発電所の影響で氏子がいなくなった神社の場合、援助する措置をとっている。神社本庁の経済力にも制限があるので、もしかして京都の神社に何も提供できないかもしれない。その場合、神社と話し合って、適切な解決策を探るべきだと思う。そうする余裕さえなければ、神社の判断に任せるしかない。神社の判断は好ましくなくても、受け入れなくてはいけない。援助は出せない場合、その結果は自分の責任であるからだ。

『神社新報』は神社本庁に近い新聞だが、『神社新報』の記事から考えれば、神社本庁が単純に許可を断り、神社に再検討を要請した。神社の判断は正しくない可能性は充分あるが、神社本庁が包括法人の責任を果たしてないと思わざるを得ない。それは出来ないとしても詳しく話し合って、一緒に解決策を探ればいかがだろうか。このような話し合いや検討が実現されたら、同じような財政難に陥った神社は、神社本庁と相談できることが分かるために、記事で報じたほうが良かったと言えよう。


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