服装の自由

人の服装を自由に選ばせるべきだろう。何を着るかは些細なことだから、このようなことを個人に任せなければ、自由な国だとはとても言えない。しかし、これほど簡単に見える問題も、ややこしい。

まずは、服装は、バーカーから裸までの露出度は沢山ある。そして、服装の模様などは嫌な思いをさせることはある。例えば、ナチスの征服はそうだ。原則として、「多くの人はこのような姿は見たくない」というのは、禁じる理由に至らないと私は思う。社会で自由を保障するために、人の行動は好ましくないことを受け入れなければならない。その行動が周りの人の自由を制限する時点で、制限できる。

では、服装の場合どういう風に制限できるだろう。

一つは、危険を伴う服装だ。例えば、日を常時に出す服装は周りの人には火傷を与える恐れがあるので、一般に禁じることはできる。そして、特に長い服装は、機械に絡まって着用している人にも周りの人にも怪我をさせることがある。温水プールで大きな服が問題になるだろう。衛生上の制限も、環境に損傷を起こす服装もこの範疇に入る。もちろん、このように制限するために、証拠で衛生の問題や危険を裏付けなければならない。赤い服が毒になると信じても、証拠が行政に認められない限り、制限を設定することは出来ない。ここに緊急措置も必要。例えば、ある歌手が生肉の服装で温水プールに入ろうとしたら、衛生上の問題で禁じることは許すべきだ。しかし、事前にそのような規則を設けるはずはない。だって、人がそうするとは思えないだろう。だから、前例のない、常識の上で問題になりそうな服装は、当分の間禁じる許可は必要だ。しかし、禁止を続けるために根拠は必要。生肉で泳ぐことは、実は衛生上の問題もないことが判明できたら、禁じられなくなる。(衛生上の問題があるよね。ないわけはないだろう。)

もう一つは、顔のことだ。人を識別するために顔を見るのは大事だから、顔を見せることを要請することはできる規則が良い。もちろん、識別は不要な場合顔を隠させるのは原則だから、このような制限は、危険の制限のように識別する必要は特にあると証明しなければならない。銀行や郵便局では必要だろうし、役所で届け出する場合そうだと思えるが、一般の買い物では必要ないだろう。顔を隠すべきだと思う文化も存在するので、必要以上制限するべきではない。

最後の一つは、警察官を扮装する服装だろう。警察官に見えることだけで影響があるからだ。医者さんや消防士に仮装しても、尋ねる人に事実を認める限り大きな問題にならないかと思えるが、警察官は別だ。ドラマなどのために、申請して許可を得た場合警察官の征服を着させてもらえる措置も必要だろう。そして、扮装して自分の資格などを偽ることは、今の通り犯罪にするべきであるのは言うまでもない。ただし、偽るつもりはなかったら、服装をなるべく自由にするために警察官しか制限しないほうが良かろう。

議論できる基準は、着用する人の怪我になりかねない服装だ。原則として、自分に怪我をさせる権利があるが、思わず怪我になることは防ぐべきだろう。ここで、禁じることを慎重に考えるべきだと思うが、危なくない服装を促進する措置は適切である。

次は、場所の範囲を考えなければならない。先ず以て、公衆の場では自由を厳守するべきだと思う。路上とか公立公園などはその例だ。私有地の場合は別だ。自分の私有地の中で、自分に快適な環境を作る権利も重要であるからだ。だから、民家の中で好ましくない服装を着ている人を入らせなくても良いと明記した方が良い。ただし、お店などは、私有地だ。店に入れなければ、本当に服装の自由を持っていない。生活を営むために、社会の規則に従わないと行けないからだ。

だから、不特定多数の人の入場が許される施設にも、服装の自由を厳守するべきだ。そして、会員制の定義は必要。これは卓上の会員制ならだめだ。例えば、カラオケ屋さんに行くと、受付で会員になるように促されるが、その場で申込書に記入するしかない。二つの基準が思い浮かぶ。一つは、ちゃんとした審査があること。その審査には、少なくとも一週間がかかることで、落ちる可能性も実例もないと基準に満たない。もう一つは、入会費だ。その入会費は、入場料より数倍以上高くしないと基準を満たない。つまり、会員になって、同じ場所を何回も使うことにしない限り、本当の会員制ではないと言う。

(ところで、人種差別や男女差別は同じような基準にした方が良いと思う。なくしたい現象だが、自由を保つために許さなければならないと思う。ただし、不特定多数の人が入れる場所にはそのような制限はいけない。)

その上、他の制限できることがある。例えば、従業員に服装の基準を課すことは原則として許すべきだ。従業員には公平に課さなければならないが(つまり、一人に特別な制限を課すわけにはいかない)、企業のイメージを作成しても良い。服装の自由があれば、自分の好みに添う職場を探すことはできるはずだ。

これほど簡単な自由を保障するために、複雑な規則が必要となる。言論の自由や職業の自由はこれより難しいので、よく考えて規則を構えなければならない。


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