南京事件は日本と隣国の間に論争を起こす話題であるのは周知の通りだ。特に学校の教科書での取り扱いが国内外で論争の焦点になることは多い。中国側は、教科書で抹殺があったと明記すつように要求するが、一方国内の右翼が教科書で南京事件は中国側の誇張に過ぎないように記すように要求する。同時にこの両方を満足させる方法はないかと思ったら、一見でないと思うだろう。だって、正反対の要求なのではないか。
それでも、妥協案はあると思う。それに、教育に大きく貢献する妥協案だ。南京事件は論争の焦点だから、論争の焦点として教えるべきだ。だれも客観的に見れば同じ結論にたどるというのは嘘だ。
だから、教材でもこの論争を表すべきだ。これを実現するために、論争に戦っている人に頼めば良い。教材を下記の通り調整することを推薦したい。
先ず、論争に関わっている人を選ばなければならない。国内の代表として、例えば大東亜戦争を専門とする研究会が存在すると思うが、それに頼めば良いだろう。これで、日本国内の学界の標準的な意見が表現される。そして、右翼で教科書の修正を強く求める会にも頼むべきだろう。次は、国外の学者だ。アメリカやヨーロッパに頼んで、アジア以外の意見をもらう。そして、最後に、中国の学者に頼む。
最初に頼むのは、南京事件の事実を描写する文章、そしてその事実が分かる証拠を提供する文章だ。長さの制限を置くべきだが、それ以外内容は頼まれた学者に任せる。任せる前にちゃんとした学者であることを確認するべきだし、この教材の動機になった問題は、学者の間に意見が別れることだから、学者の意見の内容や証拠との関係を基準として適切であるかどうかは判断できない。つまり、学者が歴史的な事実についても、妥当な解釈についても、証拠の存在や意味についても、同意しないので、歴史学の普通の基準に基づいて判断できない。学者に、事前のこの教材の形を説明するのは当然だ。だから、別な立場から南京事件を論じる文章と一緒に生徒に私ことは分かるので、そのような文脈で説得力があるように作成するはずだ。
そして、全ての教材を全ての学者に見せる。他の学者の主張に反論する機会だ。これにも文字数の制限を設けるが、それ以外自由に作成させる方針をとるべきだ。これこそ、学者の間の論争だから、素人は判明できないし、判明できる人はこの論文で闘っている。
これで終わっても良いが、学者の協力を得れば、反論を踏まえて最初の説明を修正してもらった方が良い。もちろん、最初の説明が修正されたら、反論も修正する必要があるかもしれないので、その機会も与えるべきだ。
そして、この四つの学者の史料を教材とする。生徒に渡して、読ませて、証拠や理論を踏まえて自分の意見を決めるように指導する。
この方針に不満を表すことは、自分の立場を裏付ける証拠には特に酷い弱点があることか、反対する立場には特に有力な証拠があることかを指すだろう。そうではない限り、証拠を考察する生徒は当然妥当な結論に辿り着くだろう。その上、生徒には自分で証拠を評価して、結論を裏付ける練習になるが、これは日常生活にも仕事にも重要な能力だ。複数の側面から考えても、良い方針なのではないかと思う。