二酸化炭素排出量割当

気候変動と取組むために、一番重要な措置は二酸化炭素排出量削減であると言われる。気候が変動することはもう確実だから、それに対応するための措置も急務になりつつあるが、長期的に災害とつながないように二酸化炭素の排出量を削減しなければならない。地球の平均温度はまだまだ上がっているので、明日から排出量をゼロとしても、気候変動は避けられない。ただし、無断に排出し続ければ、その変動が対応不可能になる。少なくとも、その対応の一部は「中東を避難する」のような措置になってしまうので、世界の政治的な構造にも、人口配置にも大きな打撃を与える。

では、削減するべきだと認めても、具体的にどうすれば良いかは深刻な問題だ。

例えば、全ての国には25%の削減を義務づければどうか。平等だろう。それはそうだが、そうすればアメリカの一人当たりの排出量は他の国の一人当たりの排出量を大きく上回るし、途上国の経済成長に大きな障害物になる。電力不足で工場を回せないなどからだ。だから、途上国はこのような政策に強く反発するし、このような条約が作成されても、締結しない。

次の提案は、全ての国に同じ一人当たりの排出量を与えて、総合排出量が気候変動の最悪の結末を避けられる程度に抑える案だろう。この案の方が公平に見える。ただし、問題はまだある。

一つは、一人当たりを計算するために、いつの人口を基準とするかだ。人口をわざと増やして、自国の排出枠を広げようとする政策は、結果として世界環境の破滅を招くので、防がないといけない。だから、過去の人口を基準とするべきだ。過去の人口は変更できないからだ。いつの人口がいいかは、単純に言えば1990年だろう。それは、気候変動の深刻さが分かる前の年として他の条約でも使われている。ただし、そうすれば1990年以降、日本のように人口減少を経験した国には事実上より高い一人当たりの枠が与えられ、人口増加を経験したほとんどの途上国には事実上狭い枠を課す。これも訴えられるはずだ。

それでも、より大きな問題が残る。枠をどう計算しても、アメリカには95%の削減を義務づけると言われる。95%を把握するために、次のように考えれば良い。先ず、排出量を半減する。火力発電所の半分を閉鎖して、車の効率を大きく引き上げるなどの努力は必要。そして、また半減する。簡単の措置は残らないので、生活に影響を与えることは避けられない。それから、また半減する。今回は、法律で飛行を禁じることは必要だろう。自動車禁止も、石油の使用を政府関係に限る必要もあるかもしれない。しかし、まだ終わっていない。もう一回半減しないといけない。それをどう出来るかは、不明だ。仮に出来たら、最後に40%削減する。

日本の場合、その最後の40%削減は不要だろう。

このほどの削減は、アメリカで通れると思うのか。

しかし、まだ終わっていない。この政策が実現されても、まだまだ不公平だ。アメリカなどの先進国が二酸化炭素を排出して成長したので、歴史的に見れば、もう沢山排出したが、途上国はまだ排出していない。だから、一人当たりの累計の排出量を統一することは一番平等だろう。そうすれば、アメリカはもう赤字になっているだろうので、即座にゼロにカットするべきだ。

このようなことは、到底無理だろう。

一方、そうしないと多くの人が死ぬに違いない。

だから、排出量削減だけで問題を解決できない。それに加えて、新技術も必要だ。意図的な削減を促すと同時に、二酸化炭素を排出しない技術の導入によって自然の削減を目指さなければならない。


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