靖国神社の鎮霊社

追伸。この投稿を一週間前に書いて、予約公開に設定した。まさか時局に追われるとは思わなかった。昨日の安倍総理大臣の参拝を受けて、公開を一日前倒しした。後ほどさらに付け加えするかもしれない。

靖国神社の境内には鎮霊社という小さな祠が鎮座するという。1965年に建立されたそうだが、2006年まで非公開だったという。この祠に祀られるのは、日本でも外国でも戦争や事変で死んだ人の魂であると言われる。ただし、靖国神社の本殿に祀られている魂はこの鎮霊社で祀られていない。鎮霊社の祭祀の対象の魂の例として、幕末の時代に幕府側で戦った人を挙げよう。例えば、会津藩の有名な白虎隊はこの鎮霊社で祀られる。その上、東京の大空襲でなくなった人も、原爆でなくなった人も、この鎮霊社で祀られる。

祭祀の対象は日本人に限らないそうだ。外国の戦没者も祀られるそうだ。つまり、本殿で祀られる英霊が殺した人は鎮霊社で祀られるし、本殿で祀られる英霊を殺した人の一部も祀られる。(戦没しなかった人は祀られないので、皆ではない。)

この神社の存在は、靖国神社が強調しないし、広報しないことに頷くだろう。本殿での英霊とのイメージがかなり異なる。

しかし、この祠の存在には潜在の意味があると私は思う。

靖国参拝の場合、鎮霊社にも参拝すれば戦争の犠牲者への配慮も明らかになる。原爆などでなくなった人は、「国のために尊い命を捧げた」人ではなく、戦争の犠牲者である。純粋な犠牲者と言えよう。つまり、戦争の被害を念頭に置くことになる。そして、日本の軍人によって殺された人に対しても参拝するので、英雄の活動で他の人が命を失うことも念頭に置かれるだろう。だから、鎮霊社にも参拝すれば、その参拝の目的は戦争を讃えて、被害を否定して、これからの戦争の準備をする目的があるとは言えなくなる。現在でも、本殿への参拝にはこのような意味はないと多くの人が強調するが、信じない人もいるのは周知の通りである。一方、戦災の犠牲者の慰霊にも参列すれば、戦争への思いがより明確になると思う。

さらに、鎮霊社で犠牲者に謝罪する祝詞を読み上げることも可能だ。このような行為は、神道の歴史に根付いている怨霊信仰とも関わる。怨霊信仰というのは、不幸な最期を遂げた人の魂が生き残っている人を祟る考えで、天神信仰の起点だった。鎮霊社に祀られる魂は、日本人の犠牲者も含むが、外国で日本軍によって殺された人も含む。つまり、鎮霊社での謝罪や慰霊祭の対象には、大東亜戦争の中国や韓国の被害者も含まれる。この神社で謝罪すれば、戦争を称讃していると解釈するのが無理になる。

そして、鎮霊社が靖国神社の祭祀の中でより重要な地位を占めたら、神社の雰囲気も変わるのではないか。戦争の被害に直面して、英霊の悲劇も認めるようになる。戦争を称讃する施設を私は認めるわけにはいかないが、その悲劇に巻き込まれた人の勇気や苦労、そして被害と喪失を記憶に活かせる施設は、国家の将来に貢献すると信じる。


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