神宮大麻奉斎の価値

『神社新報』を読むことはかなり遅れているので、つい最近12月2日付を読んだ。年末が近づくと、神社界で大きな話題になるのは、神宮大麻の頒布だ。周知の通り、神宮大麻は伊勢の神宮の神札である。神社本庁の方針は、神棚を設ければそこで神宮大麻を祀るべきということだ。神宮大麻に加えて氏神様のお札も祀るのは普通だが、神社本庁が特に強調するのは神宮大麻である。

昭和末期に神社本庁が「一千万家庭神宮大麻奉斎運動」を開始した。名称からすぐに分かると思うが、その目的は日本中の一千万の家庭の中で神宮大麻を奉斎してもらうことだった。ほぼ30年が経ったが、まだ達成していない。実は、神道の現状についての研究発表を読めば、神社が神宮大麻を受け取って、氏子に伝えずに一年間保管してから焚き上げするケースも少なくないそうだ。つまり、目標に達成していないというより、統計の中に幻の家庭も含まれているようだ。

このことは、神社本庁の中でも知られているに違いない。私は神道に興味を持っているが、非公開の情報源はないし、仕事とする方ほど分かるはずはない。ただし、この問題を正式に認めるわけにはいかないだろう。現行の神社界の制度の根本的な問題と関わるからだ。特に神社本庁と神社との間の関係には問題があるそうだが、急に露にしたら不要な危機になる恐れがある。

だから、間接的に問題に取組んでいるようだ。今回の『神社新報』の論説で、数値に捉えられずに神宮大麻の奉斎の意義啓発に努めるべきだと強調する。確かにその通りだと思う。多くの人が奉斎の理由に納得すれば、頒布体数が自然に増加するがなぜ持った方が良いか分からない人は多かったら、押し付けても長期的な効果はない。

しかし、この論説で、神宮大麻の奉斎の意義を明記してはいない。常識であると思われるだろう。『神社新報』を読む人であれば、当然筆者と共有すると思われるだろう。日本論理検定協会で、このような暗黙前提は極めて危険であることを教える。もしかして、相手が別な意味で考えているのではないか。そうであれば、誤解に基づいて進めば、後ほど深刻な問題が発生する恐れがある。というより、深刻な問題が待っている。

意義啓発のために、意義は何であるかをはっきり伝えなければならない。「啓発」は理解を深まらせる行動だから、そうしないと啓発をなさない。私は、神社本庁や伊勢の神宮に発行された沢山の書物を読んだことがあるが、神宮大麻の奉斎の意味はまだはっきり分からない。だから、啓発の戦略はまだまだであると言えよう。来年、はっきりした神宮大麻の説明は期待したいと思う。


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