大手企業と自由

零細企業が大手企業と実質的に競争できることは、自由を保つために必要であると去年末述べたが、それはなぜだろう。

大手企業の経営陣には意見や方針がある。これは当たり前だし、経営陣の自由を尊重するべきだからこのような意見や方針をなるべく制限しない方が良い。しかし、その場合経営陣の方針などに賛同できない人は当然いる。例えば、大手企業の経営陣がキリスト教に敬虔であり、企業の運営方針にはキリスト教の倫理等を反映する場合を考えよう。例えば、教会に寄付すること、それともキリスト教の布教を支援すること。企業内でもキリスト教の儀式を行うことも視野に入れるべきだ。このような行動を禁じるのは好ましくない。経営陣が民間の企業である哲学や方針を実現するのは当然だし、その哲学には宗教的な要素があっても当然のままだ。ただし、それに賛同できない人はいるだろう。特にイスラム教徒が例として思い浮かぶ。

自由を保つために、経営陣にはキリスト教を導入する権利を保障しながら、イスラム教徒にはその企業で働かない権利を保障する。イスラム教を導入する企業を探せてもよいだろう。それとも、自分のイスラム教の企業を創設すれば良い。

問題はここだ。もし零細企業が大手企業と競争できなければ、イスラム教を尊重する企業を勃興することは事実上できない。もちろん、創設の手続きはできるが、営業が始まったとたん、大手企業に潰される。そして、イスラム教は大きな宗教で、世界中にイスラム教徒は多いので、探せばイスラム教を尊重する企業を見つけるだろうが、小さな宗教に属する人はそうできない。自分の宗教を尊重する企業を見つけることはできない。創設するしかない。特に、働きたい分野もマイナーであれば、宗教は大きい方でも創設しかない可能性はある。

これに対して、大きな企業には宗教によって差別しない義務をつけたらよいのではないかと思う人は多いだろう。ただし、私は賛成できない。まず、その義務自体は自由に違反するので、避けたいのだ。でも、より根本的な問題がある。宗教には特別な地位を与えたくない。他の信念に同じような重みを与えるべきだと思う。経済のあるべき姿も含まれている。

企業を経営するために、経済のあるべき姿についての信念は必要だ。経営方針の指針だ。暗黙的なことである場合は多いだろうが、いつも存在する。そして、その指針に賛同しない人は存在する。ただし、企業に経済的な指針を持たないことは義務づけられない。それは「経営しない義務」と等しいからだ。

だから、経営陣の自由と個人の自由を双方尊重するために、新しく創設された零細企業が大手企業と競争できる環境を整えなければならない。もちろん、新しい企業が成功する保障はない。ただし、最初から失敗が決まっている状態でもない。

つまり、ある人が既存の企業に就職すれば、自分の信念に違反すると感じたら、その信念を尊重する自由がある。その方法として、自分の企業を創設することだ。確かに普通の就職より難しいが、仕方がない。少数派の生活はいつも主流の人間の生活より辛い。その問題は解消できないだろうと思うが、それより先に少なくとも少数派の人の生活を可能として、不自由を払拭するべきだと思う。努力は必要とすれば、努力できる環境は必要。だから、大手企業と競争する零細企業の創設を可能とするべきだ。


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