家族の家訓

家族が決めることは何だろう。一員の除籍は重要なことだが、それだけであれば、法律で制度を整える必要はない。だから、団体を重視するためにより広い範囲で活躍させるべきだろう。それは、家訓と言えよう。

家訓に歴史があるのは言うまでもない。戦国時代から有名だが、平安時代まで遡っても似ている存在がある。あるべき生き方などを定めて、家族の形式を描写することは多い。この伝統を活かして、家訓を家族に定めてもらう。

家訓の内容は自由だ。それは団体の自由の重要な一部である。ただし、二つの重要な条件がある。

一つは、家族外の人に対して、家訓は拘束力を持たないこと。法律で例外を設けることも可能だが、法律の特別な許可はない限り、家訓は家族の人しか対象としない。

もう一つは、家訓によって離籍を妨げることはできない。これは個人の自由を保障するために必要な措置である。一人の息子は家訓を変更することはできないだろうが、強く反発すれば離籍できる。家族に戻るためには、養子にならなければならないので、家族の同意は必要であろう。だから、たとえ家訓で女性が屋外に行ってはならないと定めても、離籍するための出かけを許さないと犯罪になる。

付録かのように、放棄できない権利や義務もあるだろう。権利の例として、全員一致で家訓を変更できる権利は、家訓の内容を問わずに存在することを挙げよう。義務などについて、後日に論じる。

家訓は、法律上拘束力がある存在だから、行政に届け出る義務を付けるべきだ。というより、届け出ない限り、家訓は無効であるべきだ。ただし、条件は届け出であるべきだ。つまり、行政に提出して容認を求める形ではない。届け出ると、もうその通り拘束力がある。それは条件の理由である。その条件は、家訓によって翻らせられないので、内容は何であっても家族の中の個人の自由は保障されている。届け出しか必要としないことは、団体の自由を保つための必要な措置である。

家訓の普通の役割は下記の通りだろう。

先ず、家族の意思決定の手続きを定める。全員一致で良かったら、しなくても良いが殆どの場合、このような条項は必要だと思える。

そして、家族から人を除籍する基準と手続きを定める。家族がそう決めたら除籍される基準は普通だろうが、判断のないようによって基準や手続きが違うことも可能だ。例えば、除籍するために家族の三分の二以上が同意することを必要とするが、普通の判断には多数決になる。家訓の手続きに従わずに人を除籍しようとしても、無効になる。争われると、家庭裁判所で判決を求めなければならない。

三番目は、家族の行動を指導することだ。家族の一員には拘束力があるので、罰金などを定めることもできる。そして、契約などを結ぶために家族の許可が必要とされたら、それとも婚姻関係を結ぶために家族の許可は必要とされたら、許可なしにできなくなる。家族の一員である限り、家訓に拘束される。許可なしに結婚できるが、まず離籍しなければならない。ただし、離籍すれば拘束力が当然消えるので、罰則を認めない場合、離籍できる。宗教法人法と同じように、離籍する意向を示してから罰を一切禁じる法律は必要だ。この条件は明らかに必要だ。例えば、家訓で子供を産むために家族の許可は必要であるとしよう。家族の女性が無断で妊娠したら、中絶するか、罰金を納めるかという選択肢も定められることと考えよう。その場合、妊娠した女性が罰金を避けるために離籍以降を表明すれば、家訓の別な条項で女性の資産から罰金を徴収することはできない。これも、自由を保つためだ。

このような措置があれば、拘束力には意味はないと思いがちだが、そうではない。選択肢は三つ。一つは、家訓に従う。もう一つは、家族を説得して、家訓を変えてもらう。最後に、離籍する。家族とはっきり絶縁するのは大きな決断だから、家族に残るために家訓に従うことは多いと思える。

このため、家族などを考えて、個人が自分の意志の間までしないこともある。どうしても自分の意志を優先したければ、できるが、ちょっと嫌でも降伏するするもある。これは個人の自由の制限として認めない。むしろ、これを自由の制限として認めたら、それこそは個人主義である。

もちろん、家訓には家族の家員を必要以上縛るべきではない。ただし、「必要以上」の具体的な内容は、団体の自由を重視すれば、家族の判断に任せるべきだ。個人には、離籍するまで家族の判断と賛同出来なければ、離籍できる自由を保障するので、悪用が防がれる。例えば、家訓でサウジアラビアのように女性には自立性を一切認めないことがあれば、女性が家族から離籍するに違いない。(離籍しないなら、女性の意思を尊重するべきだ。)全面的に考えれば、家族に残った方が良いと思ってもらうために家訓を講じるべきだ。

この制度が施行されたら、家訓の例文が作られると思える。儒学者やキリスト教徒、神道家や僧侶、哲学者や弁護士、多種多様な例が掲げられるはずだ。だから、行政が干与しなくても良い。家訓の文言が司法書士の新しい仕事になるだろう。

家訓でもう一つの役割がある。それは、家族の財産の扱い方を定めることだ。この点について、この後で論じたいと思う。


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: