『年頭の所感』

『神社新報』で毎年の一月には『年頭の所感』という短い記事が載っている。これは、その年の年男や年女によって書かれている記事で、話題は自由だ。ただし、神社界の人に限るので、共通のテーマは多い。考えさせてもらうことは多いが、一つの記事への反応がブログの記事にならないので、複数の感想を同時に投稿する。だから、この投稿には複数のテーマが扱われる。

福岡県の宗像大社の名誉宮司の養父氏は、昭和5年生まれで、広島市の陸軍幼年学校に入学したそうだ。15歳のとき、入院中原爆によってベッドから吹っ飛ばされたという。それを乗り越えて、宗像大社で沖ノ島の発掘調査に携わって、神社の復活に貢献して、平成21年の世界遺産暫定登録を見たと書いてある。このような人生を考えれば、「被爆者」の言い方は失礼に感じる。15歳の出来事によって定義された人生ではなかったからだ。

そして、北海道神宮の宮司の吉田氏がサンマリノで神社が建立されることに触れた。ウェブで検索したが、詳細はまだ発見していない。(同じようなあらすじを公開する記事にとどまった。)これは興味深い。「ヨーロッパの初の神社」だと言うが、オランダにもフランスにも神社があるような気がする。確かにアメリカの椿大社ほど本格的な神社ではないので、厳しい基準を設ければ初神社になるだろう。最初であろうとでなかろうと、もちろん良いことだと思う。

上記の二件は、1月6日付に載っている。

1月13日付で、石清水八幡宮の禰宜の西中氏が石清水八幡宮の裏話の本を書きたいということを披露した。私は、そのような本は書いてほしい。正式な記録から出来事の配列などが分かるが、その裏に会って人物や感情は表されていない。スキャンダルを避けるのは当然だが、人間味を歴史に加える書籍は重要だと思う。神社の理解にも貢献するし、将来の歴史家の現代の理解と解釈にも大きく貢献すると思う。だから、期待している。

それに、生島足島神社の宮司の武藤氏が祭祀についてちょっと書いてくれた。その神社で、本殿には床はないそうだ。扉から階段を下りて、土間に立つそうだ。そこで、一番神聖な神事が執り行われるという。これは、まさに神道的なことだと思う。他の神社はこのようなことはしないのは言うまでもない。ほとんどの本殿には床がある。確かに、伊勢の神宮の床下には神聖視される心の御柱が立つが、本殿には床がある。そして、土に近いところを神社の聖地にするのは、自然崇拝の要素も持つ神道にふさわしい。このようなことを知るのは、私にとって貴重なことだ。

私が『神社新報』を読む理由は、このように刺激してもらうためだ。今年の記事も楽しみにしている。


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