家族の義務

家族を構成する人には義務を法律で付けても良いと私は思う。家族の間に、お互いに義務を持つのは家族の本質の一部であるからだ。

先ずは、扶養する義務だ。家族がお互いに支え合うのは当然なことだから、この義務を担おうとしない組織は、家族ではない。愛し合うも当然だが、法律は感情を縛ることは出来ない。扶養は、具体的な行動になるので、命じたり禁じたりすることは可能です。親に子供を育てる義務は基本だが、子が老後の親を扶養することも、夫婦(夫夫、婦婦)がお互いに扶養し合うことも重要だ。働き盛りの人は、扶養する側に属すると思える。扶養の内容を大まかに法律で定めなければならないが、栄養や涵養を与えることが基本だろう。常識の扶養だ。

でも、この義務に加えても良いとも思う。家族を重視する制度を構築するつもりだからだ。例えば、借金の返済する義務を家族にも付けられる。賠償責任も刑事責任もある程度家族に付けても良い。もちろん、親の犯罪の為に子を刑務所に入れないが、私は罰に原則として反対するので、犯罪を償う責任を家族に付けることになる。このような措置で、社会の単位が家族になる。

これで、重要な但し書きがある。

先ず、個人はいつでも家族から離籍できるのは大前提だ。義務を重く感じれば、離籍して義務をなくすことはできる。借金などが発生した当人が離籍すれば、責任がその個人と一緒に家族から離れるので、この手法で返済義務から逃れられない。原則として、何の義務でも離籍で回避できるが、子供に対する例外は必要だろう。前にも述べたが、子供の位置づけは本当に難しい問題だから、最後に考えたいと思う。制度の全体像が描かれる前に、子供の位置づけを説明するのは困難であるからだ。

そして、義務を生じさせる人を除籍することも可能だ。そうすれば、義務が当然消える。家訓の手続きに従って除籍すれば、自由にできる。もしその手続きで除籍できなければ、家庭裁判所に申請すれば良い。例えば、家訓は特に設定されていない家族で、義務を齎した人の賛成が必要となるので、難しいだろう。ただし、その人が齎す借金は特に重ければ、家庭裁判所で訴えて除籍してもらえる。

結局、この義務をどうしても免れたいなら、離籍や除籍でできるのは前提である。個人の自由を保障するために、この条件は必要だ。

家訓で、さらに義務づけることはできる。同じく、離籍してその義務を避けることもできる。そして、家訓で法律で定まった義務を否定することは出来ないとした方が良い。家訓で、家父長に扶養される権利があるが、扶養する義務はない状態は許せないことだ。家族は、お互いに支え合う組織だから、そうしたくなければ、家族以外の法的な措置をとるべきだ。

もう一つの但し書きがある。この家族の義務は、憲法で定めるべきではない。前にも述べたが、憲法の役割は、三権の行動を制限することだ。一般国民の行動を制限するのは、普通の法律だ。

家族には支え合う義務があれば、一緒に組んで何かの計画を実現することも当然だろう。つまり、家族経営の事業は良い。次に論じたいのは、そのことだ。


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