家族の祭祀

今まで家族の経済的や物理的な構成について論じてきた。お互いに扶養する義務で家族の本質を促進する狙いがあるが、理想的な家族が助け合ったり、支え合ったり、愛し合ったりする。これは強制できない行動だから、家族法の制度で促すことにとどまる。

本格的な愛し合いは、義務から発生しない。そして、本格的な親孝行も義務から発生しない。私はそう信じる。(だから、哲学者のカントと異論する。)栄養的な扶養を義務づけるのは良いだろう。それは最低限だし、嫌な気持ちで栄養を与えても、栄養になることには変わりはない。一方、嫌な気持ちで精神的な支えを提供することはできない。逆に更なる負担になってしまう。だから、愛し合いを促すために、家族に義務を課さない。むしろ、新しい権利を与えることになる。

ここで掲げる提案は、仮説の範囲から出ない。なぜなら、心理学を基盤とするが、私はまだ心理学をそれほど深く勉強していないからだ。方針は、家族の間に愛情を促す環境づくりには変わりはないが、具体案は心理学の事実に従わせるべきだ。

さて、仮説は何だろう。愛情を培うために、家族が一緒に行動するのは必要であること。これは十分条件ではないと思う。計画が失敗して、誰かのせいにして家族の絆を破ることもあるだろう。しかし、必要条件であるだろう。一緒に動かない家族には愛情はないだろう。

この共同行動が良い方向に転じるように、条件を考えよう。先ずは、家族の時間のすべてを占めないことは大事だろう。時間の多くを占めれば、この行動以外なことをやりたがる人は嫌になって、家族から離脱する恐れがある。そして、失敗できる計画ではない方が良い。家族の絆はそもそも強い場合、失敗でさらに強まることはあるが、絆が弱かったら失敗をきっかけに破裂することもある。この方針は、絆の最初の芽生えの環境づくりだから、失敗を避けるべきだ。

このような行動を、家族祭祀と名付ける。家族祭祀は、漢字の通り氏神様で祭祀を行うことは可能だ。お寺での仏事も可能だし、協会でのキリスト教の神事も可能だ。しかし、それだけではない。例えば、特に宗教色はないお正月の恒例の祝いも家族祭祀に当たる。家族の人の誕生日を祝うことも候補だ。

だから、基本的な方針は、家訓でこのような祭祀を定めることを制限せずに促進することだろう。

そして、環境づくりに制度を整えるべきだ。先ずは、家族祭祀には経済的な基盤は必要だ。家族の財産について論じた場合、祭祀のための土地の確保を許すことにも触れたが、ここでもう少し広い意味で考えたい。

利益を自由に使える家族の財産には制限を課すべきだと述べたが、別枠で家族の祭祀のための財産を認めたほうが良いだろう。家族祭祀の財産は、収益だけではなく、財産自体を祭祀に使用することを可能とすれば良い。つまり、投資だけではなく、貯金として認める措置だ。そして、制限を設けるが個人が自分の家族の祭祀のためにお金を出したら、税金の控除になる措置も良い。必要な道具があれば、先ずお金を家族に寄付して、控除を活かす。そして、家族が道具を買う。前述したように、家族の一般財産に寄付するお金は控除にならないが、祭祀には特別措置がある。

そうすれば、家族祭祀の範囲を明確に定めなければならない。だから、家族祭祀の財産枠を認めてもらうために、家訓で家族祭祀を定めなければならない。この祭祀はそもそも自由だが、家族の皆には参加する権利があること、そして家族以外の人が原則として参加しないことは重要だ。目的は家族が一緒に何かをすることだから、家族の一部に限ることも、主役を家族以外の人に任せることも適切ではない。

この祭祀は、簡単なお正月でも良い。家族が集まって、おせち料理やすき焼きを食べたり、紅白を見たりする程度でも良い。だから、殆どの家族は、新しいことをしなくても家族祭祀を持つと思える。それは当然だろう。普通の家族には愛情の絆はもう存在するし。しかし、お正月の例で明らかになるように、家族祭祀に必要なのは、経費だけではない。一緒に過ごせる時間も不可欠だ。次に、その点について論じたいと思う。