養子の子供

この家族を単位として中枢にする制度で、養子縁組を自由にするべきであると前に述べたが、それは双方の人は成年である場合に限って言った。片方は未成年であれば、簡単に「自由にするべきだ」と言い切れない。

しかし、制限を設定しようとすれば、極めて難しくなる。例えば、親は子供を養子として別な人に渡したいとしよう。基本的な形だろう。では、双方の大人の同意は必要だろう。必要条件として問題視されないと思う。ただし、これで充分だろう。先ず、子供の意向を考えよう。子供は新生児であれば、授乳すること意外には意向はないようだから、問題にならないが、幼児になるだけで親と離れたくなくなることもある。小学生以上は、自分の意志があるので、尊敬するべきだ。子供がはっきり意志を表すようになるのは5歳前後だろうが、意志を持つようになるのは2歳未満であると思える。だから、子供の意志を尊重するつもりであれば、養子縁組を禁じる時期があるようだ。(実は、子供が中学生になったら、現在の親の同意を必要としないほうが良いだろう。悪い家族関係から抜け出たい中学生もいるからだ。)

関係者の同意を必要としても、十分条件になるだろう。行政の機関が親になる人の資格を検討して、認めるべきなのではないか。少なくともアメリカではそういう制度があるし、日本にもあると思う。

しかし、それには問題がある。

子供を産む前に妊婦の親になる資格を検討して、基準に至らなければ中絶を強制する制度はない。国家が課す基準に満たない人には子供を産むことを許さない行為は、ナチスドイツのような弾圧的な国家の行為だと思われるので、そのような制度の導入に強く反対する人は多いと思う。しかし、養子の場合同じような制度がある。これは、医学的に子供を産めない人に対する差別よりほかならない。それに、医学的な性質によって差別してはいけない。

だから、養子縁組からこのような審査を撤廃するか、出産に課すかは選択肢になる。

実は、これは簡単な選択肢ではない。大人の家族を作る権利は重要だが、子供は親から大きな損害を受けることもあるので、それを防ぐべきだ。親には、子供を苦しめる権利はない。審査を必要としても良い方には、運転免許などの制度があることを掲げられる。子育ては車の運転より重要なことであるから、免許取得を義務づけても良いのではないか。確かに、原理として否めない。問題は、運転には運転の技能しか関わらないことにたいして、子育てには生活全般が関わる事実だ。親を免許すれば、親の宗教も問われるし、教育方針も、躾のやり方も、倫理観も、経済的な基盤も、将来の計画も、健康状態も、何でも。これほど広く審査すれば、事実上国家の方針に賛同する人にしか子供を許す恐れがある。だから、子供の取得を自由にするべきだと強調される。それでも、子供の苦しみは重要な問題。

だから、難しい問題で、ここで解決しようとしない。ただし、養子縁組と出産とに同じ条件を課すべきであることは明らかだ。

最後に、一つ。親は成年である条件を設けるのは自然だろうが、未成年には子供を設けたり産んだりする生物学的な能力がついているので、十代で出産する人はいつでも存在する。未成年の出産を禁じなければ、親としての養子縁組を禁じるべきではない。むしろ、養子縁組の養子は、新生児ではない場合もあると思えるので、出産ほど問題にならないだろう。

子供の権利と養成を考えれば、極めて難しい問題になる。幸い、親の大半は子育てに真剣に努めるので実際の問題になることは珍しいが、理論的な問題として難解な問題の中で難解な問題である。解決は提供できないが、現行の制度が子供の権利と子供の養成のバランスを正しくとるとは限らない。


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