遷宮の技術

遷宮と関わる技術に着いて、もう一つ考えてきたことがある。

現在、神宮の式年遷宮などに使われた技術は「伝統技術」と位置づけられていつが、國學院大學の岡田先生が指摘した通り、導入された時代には先端技術だった。そう考えれば、現代の遷宮には、神宝としてスマホなどを奉納したら良いのではないかと思ってくる。それに対する違和感があるのは否めないが、その違和感には相当な理由があるか、それともただ単に先入観から発生するかは、最初に明らかではない。

考えたら、相当な理由があると思ってきた。それは、技術に必要な施設の規模である。

神宮の伝統的な茅葺きを例として挙げよう。これを維持するために、茅が繁茂する畑は必要で、そして拵えのための小屋、さらに葺くための足場。この全ては、伊勢市内整えられる。木材も、神宮宮域林で自給できるように努めているそうだ。御太刀の作成には、匠と工房は必要だ。

一方、スマホの作成には、何が必要のであろうか。先ずは、電子部品を作る企業だ。そして、画面を作る企業。電池を作る企業。ソフトを開発する企業。このような作成は、職人に行ってもらえない。技術の本質のために、一人が行えるわけはない。つまり、このような技術を支えるために、社会全体は必要であると言えるし、その社会がなくなると、作品の意味もなくなる。作れなくなるし、作っても役割は一切ない。携帯電話会社が電波を提供しないと、スマホの意味はなんだろう。

もちろん、お神宝は人間に使われていないが、用途はない物を奉納するのは、如何なものか。

神宮の御装束神宝の全ては、使おうとしたら使えるものだ。神宮の周辺以外の文明が仮に崩壊しても、作り続けることも使い続けることもは可能だ。だから、これを神宝の基準としてしたい。先端技術を取り入れても良いが、周りの社会がどうなっても、永遠まで継承できる技術は重要である。

そして、これから新しい神宝の概念が思い浮かぶ。

科学などによって発見された可能性のほとんどは、大規模な産業社会で具現化されているが、開発に努めたら個人の職人の手で作れるようにできる場合もある。その開発には大きな社会は必要不可欠であろうが、結果を一旦得れば、永遠まで職人によって継承してもらえる。このような方針で神道の伝統的な精神を受け継ぐし、日本のものづくり精神も活かすし、神道には本当に新しい要素を伝統を尊重しながら導入する。確かに開発費は些細なものではないと思えるし、時間がかかるはずだ。しかし、1300年以上式年遷宮を継承した神社界には、数十年がかかる計画は難しくないだろう。複数の神社が協同で取組むと良い。

具体的な提案はないが、このような大きな計画であれば検討委員会を発足して、一年以上検討してから本格的に取組むべきだ。ただ、神社本庁に働きかける手法は分からない。


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