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さて、先日Natureという科学雑誌で化学兵器や生物兵器、それとも放射能物によってのテロ対策についての記事があった。研究の成果を踏まえて、現場での対応がイギリスで決まったそうだ。その対応は、次の通りだ。

先ず、被害者を裸にさせる。そして、体を拭く。

考えれば、合理的だ。化学兵器などは、皮膚に接触すれば被害を齎す。だから、最初に服に付着すれば、その瞬間で服に守られる。化学物質が皮膚に接触しないからだ。しかし、服から皮膚に移る恐れはあるので、すぐに服を脱いで、そして皮膚を拭くと良い。イギリスで乾いたもので拭いても効果あると言われるが、日本でおしぼりを使ったら、さらに効果は期待できると思える。

理想は、下着も脱ぐことだそうだ。理由ははっきりされていないが、下着の布にも化学物質が付着する恐れがあるし、拭くことに邪魔になるからだろう。しかし、それに無理があると認められ、少なくとも下着まで。それでも、抵抗を予想して、実現に向けて方法を考えているそうだ。

疑わしい問題ではない。

しかし、よく考えよう。

化学兵器によって重傷を受けるより、他の人の前で裸になったほうが嫌だと言う意味だ。

これは問題だ。実は、「人の前に裸になるのは問題だ」という思想自体は問題であると思って、この投稿を書いた。

先ず、誤解を防がなければならない。いつも裸であるべきとは思わない。普段、服を着た方が良い。先ず、とても寒い場合もある。その場合、服はないと死ぬ。そして、真夏になっても、紫外線の影響で皮膚がんになる恐れもあるし、皮膚に損害を受けるので、真夏にも服を着るべきだ。雨の対策としても服装は良い。風も。これだけではない。服にはポケットがあるので、ものを持つことに便利だ。これは合理的な理由だ。

しかし、それは主な理由ではないと思う。服装は、飾りだ。身を飾るのは人間の本能であるようだし、良いと思う。本人にも楽しいし、周りの人にも楽しい。そして、服装の選び方で印象の調整は出来る。例えば、私は教える時にいつもスーツを着る。それは、「教えることは、相手に尊敬を示す場で、私が仕事として真剣に受け止める場でもある」という印象を与えるためだ。別な例として、神事で神職の祭服も、印象作りに重要な働きがある。ファッションには非現実的なイメージの問題があるとしても、それはファッション自体の問題ではない。

だから、私は服装に賛成する。着るべきだとは言えないとしても、来た方が良い場合は殆どだ。冒頭のテロ事件もその例だ。最初から服を着ていなければ、服に守ってもらえない。

それでも、裸になって見られることは、何で恥として感じられるだろう。若い頃、刺青してしまった人もいるが、殆どの人は、裸になったらただ体が見えるだけだ。服越しでも、体の形は一応分かるし、人間だって、同じ体を持っている。

裸になったことで悪いことをした可能性を後日に論じたいが、ここで冒頭のテロ事件のような場面は考えたい。悪いことをしているわけはないだろう。だから、なぜ恥ずかしく思うだろう。理由はない。そして、人目から隠れたと思い込んだところで見られてしまったら、悪いことは何?例えば、着替える途中で目隠しが倒れたら。それより、相手が悪い場合でも、見られる方が恥ずかしく感じる。

つまり、裸で見られたら悪いと言う思想は、問題を起こすし、利点は全くない。だから、社会から払拭するべきだと思う。

そうするために、慣れさせるしかないだろう。日本人の女性は、顔が見られたら恥ずかしく思う人は殆どいないだろうが、サウジアラビアではそうではない。理由は、日本人の女性は日常的に顔が見られるからだ。

もちろん、顔はいつも露出されているが、前述の通り通常に裸にならない方が良い。だから、もう少し工夫しなければならない。例えば、温泉、特に混浴温泉を促進するのは一つの方法だ。もう一つは、水泳を原則として裸ですること。脱衣場や更衣室には目隠しを設けないことも可能だ。このような態度を変えるのは、大人には難しいだろうが、子供は柔軟だから、学校から始まった方が良い。

確かに、書けば、私にも抵抗感が湧く。しかし、根拠は揺るぎない。これほど抵抗するからこそ、人に肉体的や精神的な傷が必要以上受けられないように、このような工夫は良いと思わざるを得ない。