Kannagaraの根本的な見直し

昨日、Kannagaraの修正に本格的に入った。かなり中心的なところを見直すことになった。サイコロを振る方法やゲームのなかの役割だ。

今までの構成で、ちょっと特徴なサイコロの振り方が中枢となった。その振り方には確率的に良い要素は多かったので、いつか使いたいと思うが、試遊の後で、Kannagaraで使わない方が良いのではないかと思ってきた。なぜなら、ちょっと複雑だったし、旅想の重要なところの複雑さではなかったからだ。

振り方は下記の通り。

代像には二つの数値で表される要素がある。その要素の一つの数値の数のサイコロを振って、もう一つの数値に当たるサイコロの結果の合計をとることだった。一番高い結果のサイコロから始まって、順番に下に行くので、二つ目の数値が低かったら、高い方の結果を使う。他方、二つ目の数値が高かったら、数値の差を高い数値に足して、その数のサイコロを振って、低い順で合計をとる。

才能と技術を表現するためには良いと思うが、Kannagaraには合わないかと思ってきた。だから、サイコロの振り方の周りの構造を保持して、サイコロを切り取ることにした。この修正が上手く行かなかったら、またサイコロを振ることになるだろうけれども。

実は、別な方法でサイコロを使う。代像は「穢」を得ることは出来るが、そうすれば「穢」と同じ数のサイコロを振って、1が二つ以上現れたら、問題が発生することにした。この振り方は難しくないが、重要な役割を担う。つまり、旅想の途中で予想しなかったことが発生する可能性を確保する。私の経験で、このようなことは楽しみに重要だから、取り入れたい。

これ意外、カードをよく使う方針だ。カードで設定についての情報を書き込んだら、旅想者には覚える必要はないし、ある時点の選択肢が見え易くなる。これで、要素を積み重ねて旅想の世界を描写する。対象層は欧米人で、背景は日本の神道であるので、殆どの旅想者には知識はないと思っても良い。旅想を通じて分かってきてほしいが、それが叶うように情報を遊びの一部として自然な形で提供しなければならない。試遊で大きな問題になったので、情報の量は多すぎて、紹介する速度は速すぎたことだった。だから、よりゆっくり紹介できるように、構造を修正している。しかし、サイコロの振り方と違って、ここで基本構造は大丈夫だと思う。最初の方の設計図が出来たので、次は詳細を加えることだ。遊び方も神道の世界も同時に紹介しなければならないので、じっくり考察する。だから、修正にはちょっと時間がかかりそうだ。

でも、進んでいる。

疲れ

最近、妹から投稿は長過ぎるという文句が入っていたので、ちょっと短い投稿を載せていただく。

実は、短い投稿を公開するもう一つの理由がある。それは、最近凄く疲れていることだ。明らかな理由はないが、仕事の量なのではないかと思われる。幸い、先日締め切りがあった編集を提出したし、川崎市外国人市民代表者会議は今月で事実上終わる。(任期は三月末までだが、最後の会議は今月開催される。)だからこそ、今年の抱負で述べた通り、代表者会議が終わったらしょっと休んでから新しい貢献できる活動を探すつもり。

ところで、この疲れで不思議なことがある。私は、強い内向性を持っていると前にも言ったと思う。だから、人と接すると疲れてしまう。一人になりたくてたまらない場合もある。「場合もある」というより、毎日何回もあると言って良いほどだ。山に籠るのは、魅力的な行動だ。

それでも、先日とても疲れていた。昼間に執筆の仕事を一人でしていたが、力を尽くしても最低限しかできなかった。正直に言えば、最低限が出来たことも、ちょっと驚いた。そして、夜にレッスンがあった。辛いを思うだろう。

しかし、レッスンが始まったら、どこかから力が湧いてきて、苦しまずにできた。内向性を持っているかどうかが疑わしくなるほどだった。後でまた疲れていたが。

実は、いつもそうだから、分かってきた。疲れていても、レッスンは出来る。レッスンの前に疲れたら、レッスンの後で何もしないように計画を立てるべきであることも分かった。

とにかく、最近の疲れの取り方を考えながら、出来る限り休むつもりだ。

家族構成と子供

未成年の子供が存在すれば、家族の離籍はどうなるのだろうか。問題が更に難しくなるのは否めない。

まず、子供が生まれたら、生母の子として戸籍に記録されるのは基本であるべきだと思う。親は結婚していれば、二人の子として記録するのも当然だ。親は結婚していない場合は、どちらかの子として記録する。戸籍で二人の子供として記録できないが、備考で双方の親を記入した方が良いだろう。

では、離籍と除籍はどうなるのだろう。まず除籍について考えたいと思う。原則として、未成年の子供を除籍することは許さない方が良い。子供を除籍すると、扶養する義務を拒絶するが、子供は自分を扶養するはできないし、国家の施設に譲るのは良くない。もちろん、親として付籍させる人が存在すれば話は別だが、原則は除籍禁止であるだろう。

離籍もちょっと難しい。ここで子供の自由を尊重するべきだ。離籍すれば、親からの扶養を失う可能性は高いので、働ける年齢に至る前に認めない方が良いだろう。つまり、義務教育が終わるまで、子供の勝手な離籍は認められない。

この場合でも、例外は必要になる。家族環境はひどければ、子供を救済するために離籍させなければならないだろう。このような場合、家庭裁判所で申し出るのは手段とするべきだ。状況が分からない法律の文言にはこれほど重要な判断を任せてはいけないので、生きている裁判官の判断を仰がなければならない。

しかし、よく考えれば、大きな問題が思い浮かぶ。家族の定義は、杭から横の絆と下がる縦の絆で繋ぐことにした。では、離婚を考えよう。家族に嫁がれてきた人が離婚したかったら、問題は比較的に簡単だ。その人は母親でも父親でも、離籍したら子供ともと配偶者が家族に残る。

ここで問題になるのは重大なことだ。子供との縁だ。離籍すれば、子供との縁も切る。そして、親の一人が離籍すれば、子供が親の双方と家族関係を法律上保つのは無理になる。二つの家族に属できないし、親は別々な家族になっているので、選択しなければならない。もちろん、人間関係は法律によって縛られないので、離婚しても深い関係を保つことはできる。しかし、法律によって認められた親子の関係を保ちたい人は多いだろう。離籍する人は勝手に子供を連れて行くことは許すべきではない。子供は家族に残りたい可能性もあるし、片方の親も関係は保ちたいだろう。

これも、今と同じように家庭裁判所で解決するしかないだろう。個人の自由に触れないことで、二人の意欲が合わない場合、問題がある。その問題は、人間の知恵を絞って解決しなければならない。法律の形によってなくすことはできない。家族を単位として重視する制度は、法律的な親子関係を双方で同時に保つことができないようにするが、家族を単位として重視することは、このような状態を招く状態である。個人を単位として考えれば、どんな組み合わせでも可能だが、家族が単位となったら、より複雑になる。

そして、離籍したい親はもともと家族に生まれた人である場合を考えよう。配偶者の横の絆が消えるので、配偶者も家族から除籍させるように見える。これは、子供がいてもいなくても認めるべきではない状態だ。それを防ぐために、結婚すれば、配偶者の親の法律的な子供になる措置をとるべきだろう。縦の絆が存在すれば、離籍されても家族に残れる。

ここで、もう一つの可能性が浮上する。親が離婚しても、同じ家族に残ったら、双方が子供との親子関係を保つことはできる。つまり、結婚を出たいが、より広い意味での家族との絆は良かったら、そうできるようだ。そのために、離籍について離婚を認めるべきだろう。親子関係を絶縁することは、いつも離籍と繋ぐようだが、それも独立して絶えさせられる状態は良いだろう。

もちろん、結婚と離婚で、ある家族の子になれるが、親子関係を自由に結べるような制度を提案していることは思い出してほしい。結婚と離婚のややこしい方法をとる必要はないので、そうする人は少ないだろう。

一人親が家族を離籍すれば、子供が一緒に離籍することになる。縦の絆が消えるからだ。ここで、家族に残る人が親になることに同意すれば、幼い子供にも移籍させるべきだろう。例えば、13歳以上であれば、子供の判断に任せるが、13三歳未満の子供は原則として親と一緒に離籍する指定は良いだろう。もちろん、他の場合と同じように、家庭裁判所には例外を定める権利を与える。

ここで浮上するのは二つのケースだ。一つは未成年の養子で、もう一つは婚外子。このケースを別々で論じたいと思う。

家族の離籍と除籍

家族の一員であることが義務をつれてくることとすれば、個人の自由を保つために離籍の自由の保障しなければならない。基本的な方法は、離籍の権利を保障することだ。離籍することで、義務を免れるからだ。ただし、離籍は簡単なことではない。

まず、元の家族との関係の全てを絶縁することだ。離籍すれば、戸籍から削除され、新しい戸籍に現れる。法律で、親が親ではなくなる、配偶者が配偶者ではなくなる、子供が子供ではなくなる。独身の成人が親と離別したくなったら、これは問題にならないが、他の場合もある。未成年の子供がいる場合をもう少し先送りしたいのだが、重要な問題だから、後日にちゃんと論じるつもりである。

問題になる状態は大別して二つになるだろう。一つは、人の一部との縁を保ちたい場合で、もう一つはその家族との縁を保ちたい場合。

他の人との縁は保ちたかったら、方法がある。一緒に離籍して、そして一緒に戸籍を組む方法だ。一人一人の同意が必要となるが、特別な措置はなくても可能である。それでも、特別な措置を構えたほうが良いだろう。具体的に、縁を組んだ日々が変わらないような措置だ。新しい縁を組むことになったら、例えば結婚が再婚になる。それは法律上意味はないとしても、歴史を正確に反映しないので結婚の本当の長さを反映するような措置をとるべきだろう。幸い、複雑ではない。ただ組として離籍して、その組の中の関係を別な戸籍で保つようにすれば良いと思う。もちろん、数ヶ月の余地を許すべきだ。全く同時にできない事情があるからだ。そして、余地が過ぎ去っても、家庭裁判所で縁の復活を認めてもらえる規則も良い。

これで実践問題が発生すると思える。例えば、イさんがロさんとの縁を保ちながら、ハさんとニさんとの縁を切りたいとしよう。しかし、ロさんは、ニさんと絶縁したいが、ハさんと縁は保ちたい。ハさんは、ロさんと縁を重視するが、イさんと絶ちたい。この場合、できない。しかし、これは法律の問題ではない。このような関係で、誰も自分の好みの関係を保つことはできない理由は、人間関係にある。家族を重視することでこのような問題が浮き彫りになると思えるが、これこそは個人主義の巻き返しになる。関係は個人と個人の間だけではなく、個人と家族の間である。

家族自体と関係を保ちたい場合は更に難しい。この理由は、家族の財産と関係ある場合も想像できるが、家族の歴史とも関係する場合がある。まずは、財産以外のことは、離籍してから同じくできる。同じ家訓を使うことはできるからだ。(家訓は著作権の対象外にしなければならない。措置として、家訓として登録する際著作権を放棄することを条件とする。)それでも、同じかぞくではないので、それを惜しむ人は少なくないだろう。少なくない状態を目指しているし。

その場合、ある人を除籍することになるだろう。もちろん、前述のようなややこしい関係になったらそう簡単にできないだろうが、一人を除籍したいこともあるだろう。これで、家訓には全会一致の条件はなければ、家訓に従って除籍できるのは原則だ。

しかし、これで止まるわけにはいかない。除籍された人は、除籍してほしくない場合もある。その場合、どうすれば良い。原則は、団結は自由なので、それはある人と組まないことも自由にする。だから除籍を禁じてはならない。一方、家訓によって家父長には独裁的な権力が与えられる場合、家族の他の人が不服する方法を認可するべきだと思う。これも、家庭裁判所に不服の申し出をすることで、家父長の決断の取り消しを求める。もちろん、その人以外の全員の同意で除籍された場合、裁判所で勝利することは少ない。

鉄則で人の自由を完璧に保障することはできないので、裁判官の裁量にも任せる部分がある。ただし、離籍する権利は、絶対的に保つべきだ。ある人には嫌な縁を強制するために、極めて強い理由が必要不可欠。未成年の子供がいる場合、そのような理由があるかもしれないので、次にその問題について論じる。