現代の祭り:自然災害

日本には自然災害は多い。世界中の地震の一割りは日本で起きると言われるし、火山もあるし、台風や豪雨で風水害も多い。この事実が神道の歴史に大きな影響を与えたと言われる。國學院大學の岡田教授は、神道の原点は神に祟りを与えないように祈ることだったと提唱しているほどだ。浅間神社の創始は、富士山の大噴火で、神社で富士山が噴火しないように祈るのは主な奉仕だったことは簡単に想像できる。

しかし、この関係が希薄してきた。一つの理由は、自然災害の原因が解明され、神様の祟りだと思う人が少なくなったことだろう。災害への過程が見える現在、祭祀で災害は防止できるとは思い難い。だから、祈雨や止雨と同じように、災害をテーマとする祭りが少なくなった。

ここで、その点は見直したい。確かに祭祀で地震を防ぐことは思えない。(実験しても良い。東京で地震防止の祭祀を執り行い続けて、首都圏の直下型地震が起きないと裏付けになる。祭祀には悪影響があることも、思えないので、リスクはないと言えよう。もちろん、リスクはない判断を裏付ける根拠は、結果もないことを裏付けるけれども。)しかし、ここで考えているので、現代の共同体のための祭りだ。共同体も地震は防げないが、災害が起きたら共同体の対応で被害が大きく変わる。

だから、防災をテーマとする祭祀は良いのではないか。防災訓練と合わせて斎行したら良いし、心を結束して、災害への対応を誓う機会として相応しい。人間は、非日常的な場で決めたことに特別な意味を与える傾向があるし、災害が起こらない家に関心が薄れることは多い。だから、後者の好ましくない現象に対する、前者を対策として使うと良い。

もちろん、防災の祭祀は楽しい祭りにならない。観光客が集まるとは思えない。慰霊祭の要素も帯びるのは当然なことだから、厳かに執り行うのは自然だ。消防団やそれに相当する防災団体が参列して、災害が起こらないように、そして万が一起こったら団体が適切に対応できるように願う祝詞を奏上すれば良いのではないか。神社本庁の指定の祭祀型をそのままにしても構わない。そして、直会で防災団が懇親を深める。

このような祭りを恒例の祭りにすれば、毎年防災の意識を新たにして、毎年訓練することになる。そして、神社が自然に防災の拠点の一つとなる。避難所になるかどうかは神社によってだが、少なくとも防災と関わる人が皆知っている場所になるし、社務所などで防災物資を備蓄することも自然になる。これで、神社が地域で重要な役割を担うようになる。

これは現代人でも関心のあるテーマだし、神道の古にも関わるので、これも現代の恒例祭祀として相応しいと私は思う。

現代の祭り:季節の祭り

神道の祭りが自然と関わるとよく言われるが、農業と関わると行った方が良いのではないか。現代の農業離れがほぼ完全になった状況で、農業の祭りには関心は薄いので、自然と関わる祭りを考えればいかがだろう。

大都会に住む人でも、日本の四季の移ろいに気づくのは当然だ。そして、季節に合わせる行動はまだまだ人気があるので、これを祭りの基盤とすることは機能だ。

まずは、初詣は忘れてはならない。今日盛んになっている祭祀だから、これをベースに氏子たちが参加できる祭りを発展すればよい。もちろん、歳旦祭はもう存在するので、既存の祭りを組み入れることもできる。

そして、桜と花見。花見で賑わう桜の名所は少なくないので、桜祭りを斎行するのは候補だろう。平野神社では歴史のある桜祭りがあるので、前例もある。桜の季節は新年度の季節でもあるので、新しいことへの出発に関連する祝詞や行事は相応しいし、桜がすぐに散るので、長く続かないことへの思いも相応しい。もちろん、祭祀の重要な一部は桜を見ることだから、原則として桜が咲いている間の土曜日か日曜日にすれば良いが、毎年の決まった日々に決定した方が無理がないだろう。もちろん、このような祭りを斎行するために、境内には桜がなくてはならない。

季節が進めば、蛍の季節になる。流れる水も神道の歴史と深く絡むし、夜の祭祀の歴史も長いので、これも相応しい。川のほとりの祭りになるので、禊も組み入れらるだろう。そして、神事を禊の後にすれば、夜中になるので秘儀の様子を強調できる。

蛍祭りを維持するために、蛍が繁栄する環境維持も必要だから、神社を近所の川の状況と深く関わることになる。これも良いと言えよう。近所の人にはその周辺の環境について考える機会を与えるのは素晴らしいことだ。禊と環境維持のテーマの他に、蛍を魂と見立てることもあるので、祖先の祭りにもできるだろう。

秋になると紅葉だ。紅葉狩りの祭りも可能だと思えるし、紅葉を境内に植樹することも良い。紅葉が落ちる季節には、企画の完成にまつわる祭りが適切だろう。そして、労働の間の休憩を賞賛する祭りでもよいのではないか。木々が冬の間に休憩してから、また葉を出すが、人間も休憩すれば良い。このような感覚は、現代の多忙な社会には重要だと思えるので、祭りに関心を引き連れるだろう。

秋のお月見も現在でも人気があるので、これも神社の祭りの基盤とできる。テーマを、宇宙開発の促進だろう。というわけで、現代の祭りには現代ならではのテーマを取り入れても良いと思う。もちろん、歌等の伝統的なテーマでも良い。

雪をテーマとする祭りは、交通の難しさに配慮して、支え合いと共同体をテーマとすることもできるだろう。

このような季節の現象と関わる祭りは、農業関係の祭りと同じように自然に毎年行われるし、現代人にも人気があるので基盤が存在する。しかし、日本の自然は必ずしも穏やかであるとは限らない。それで、もう一つの可能な祭りの形が思い浮かぶ。

現代の祭り:恊働儀礼

通過儀礼が共同体の個人を礎とするが、共同体そのものを礎とするのが良いと思える。なぜなら、「共同体」は個人の集まりだけではなく、個人と区別できる存在であるべきだからだ。

水稲農業は、必然的にこのような共同体を生み出す。灌漑を整えるために、集落の住民が皆一緒に努力する必要もあるし、用水の配分にも協力は必要不可欠だ。だから、稲作と関わる祭りが当然住民の大半の関心を集めた。疫病除けの祭りも同じだった。都会に住んだ人は、疫病を恐れるのは避けられなかった。このような出来事と関わった祭祀は、住民の大部分を惹いた。

一方、現在の社会にはそのような共通点はないと言えるほどだ。自動車工場で働く人と隣に住んでいるコンビニを経営する人、そして向こうに住む高校教諭は、生業の共通点はない。それに、農業のように年毎に回ってくる事業もない。教諭には入学や試験があるが、コンビニの経営には季節の性質はあまりない。だからこそ、季節商品を強調するだろう。工場の仕事では、コンビニの季節性さえないだろう。

つまり、自然な共同体の祭りはない。

この問題に対応するために、恊働で行う事業を作成しなければならない。

恒例の祭りになるために、毎年繰り返す事業は必要だが、明らかな意味がある事業ではないと存続しないだろう。そして、祭り自体を事業とすることは出来ない。観光のために祭りはそうであるだろうが、信仰の意味がある祭り、祭り以外の事業のためでないと効果は期待できない。このような事業は、地域の特性に配慮して考えて立ち上げるべきだから、ここで具体的に何も言えない。

永遠まで続ける事業は発明しにくいだろうが、別な方針もある。それは、一つの事業が終わったら新しい事業を発足することだ。そして、毎回祭祀を行う。ただし、発足の祭祀が恒例化しない限り、伝統の祭祀を作ることはできない。だから、永遠の事業を発明した方が良い。

永遠までの事業を抽象的に考えれば、教育と広い意味で美術が思い浮かぶ。教育は、いつも新しく生まれる人がいるので、毎年必要となる。美術は、新しい作品を出す可能性はいつでもある。このような概念で、問題は共同体を一斉に取組む姿勢だ。教育は教師に、美術をアーチストに任せることは多い。そして、結果の重要性を実感させる方法も考えなければならない。農業の時代、失敗したら死ぬので重要性を痛感するのは当たり前だが、社会が進化すると一つの失敗で死ぬことが幸い少なくなる。

過去の状態が戻ってこないので、恒例の祭祀を共同体全体を惹くようにするために、前例を乗り越えて考えなければならない。その場合、失敗に終わるアイデアは多いが、この失敗を冷静に受け止めて、次の可能性と取組むべきだ。

現代の祭り:通過儀礼

現代社会に応じる祭りのテーマとして思い浮かぶ一つの候補は通過儀礼だ。

通過儀礼は、人生の節目を祝う祭りを指す。例えば、結婚式は通過儀礼の一つだし、初宮参りもそうだ。現行の祭祀制度で通過儀礼の全ては小祭であるが、共同体の祭りにしたら、それが変わるだろう。

共同体の祭りの性質は、共同体全体と関わることだから、結婚式は相応しくない。それは明らかに二つの家族の祭祀だ。初宮参りも、当事者にとって重要だが、共同体にとっては重要な位置をしめない。共同体の共有の節目ではなくてはならない。

その一つは、毎年の四月だろう。入学、進学、就職という節目はここに集中する。そして、本人だけではなく、その人の家族にも重要な節目になるので、住民の大半が関わるのではないかと思える。

主役は、3歳の入園児を初め、小学校に入学する6歳の子供、そして中学校に入学する12歳の子供、高校に入学する15歳の子供、大学に入学する18歳の子供(本人たちが呼び方に怒るだろうが)、そして就職する22歳の新卒になる。(もちろん、中卒で就職する人も、大学院を修了してから就職する人も、参加させるべきだ。)限界村落ではない限り、毎年少なくとも一人が対象となると思えるので、神事を決めたら、毎年行える。

そして、3月下旬から4月上旬に行ったら良いので、広範囲で桜が咲く時期に合わせることもできる。神道では、季節の移ろいを重視することも重要だから、桜が咲き誇る時期に祭祀を執り行うことも相応しい。

これは若者を中心とする祭祀になるが、お年寄りも焦点とできる。例えば、勤労感謝の日にそれまでの一年間に定年になって現役引退した人を中心とする祭りも相応しいのではないか。勤労感謝の日は、新嘗祭の日にちに合わせて設定されたが、収穫は殆どの都会人との関係は希薄化したので、休日の名称を文字通りに捉えて、勤労に感謝を表す祭祀も良いだろう。

同じような感覚で、敬老の日の当たりで古稀か傘寿かを迎えた方々を中心とする祭りを行ったら良いのではないか。還暦はもはや「老」ではなくなったが、古稀でも曖昧になった。傘寿は今の感覚で大丈夫だろう。平均寿命とほぼ同じだから、傘寿に至る人は「古老」と呼んでもおかしくない。もちろん、時代に会わせて修正しなければならない。40年後、白寿を基準とするべきだろう。

この計画が働く世代の人を飛ばすが、現役世代には祭りに参加する暇はないことは多いので、主役にしない方がよいだろう。

このブログで先に七五三の公共性を増すために共同体の祭りを行ったら良いと提案したが、それも可能性になる。

通過儀礼を基礎とする祭りは、共同体の皆を包括するが、理念として一人一人の人生の節目を重視している。共同体そのものを礎とする祭りも良いだろうが、そのテーマについて次回論じたいと思う。