特性

性交は良いことなら、なぜなるべくするべきではないのか。この話題をここで論じたいと思う。

そうするために、別な行動と比較したい。それは、寄付だ。

寄付するのは良いことであると述べても、異論する人はいないだろう。ある人が寄付することが分かったら、批判しない。むしろ、評価するのは普通だ。

しかし、寄付と性交には似ている点は多いと思う。

寄付は良いことだが、なるべく多くのお金をなるべく多くの人に寄付するべきだとは言えない。理由を考えよう。

先ず、誰の財産にも限度があるし、他の責任がある。特に家族などに責任がある場合は多いので、その責任が果たせないほど寄付するのは良くない。性的な行為も同じだ。他の責任があるので、その責任を果たせないほどするべきではない。時間的な問題もあるが、浮気しない責任もある場合があるだろう。配偶者やパートナーに配慮して、許可を得ずに浮気するべきではない。(許可を得る場合もあるそうだが、その場合責任に背かないので、この問題はない。)

そして、寄付することで、相手と関係を築く。その関係は安易に途絶することは出来ないので、築く前に慎重に考えるべきだ。路上での募金活動に寄付することでとても希薄な関係を築くので、問題にならないと思える。そして、個人のウェブサイトでの募金に寄付することでも、強い絆はつながらない。公益法人への寄付の場合、確かに寄付を築くが、絶縁としても問題はない。個人的な関係はないからだ。

しかし、個人への寄付の場合、その関係は軽く思えない。だから、この人とこのような関係は本当に作りたいかどうか真摯に考えなければならない。寄付を受ける側も同じだ。寄付する人とこのような関係は作りたいかどうか、真摯に考えなければならない。乱れにこのような関係を築くべきではない。

性的な関係も同じだと私は思う。性的な関係を結ぼうとする時に緊張するのは当然だが、寄付に基づいた関係を結ぼうとする時も同じように、同じ感覚で緊張する。性的な関係の重要な相違点は、性的な関係でお互いに喜ばせるが、寄付関係で片方は寄付する側で、また片方は受ける側であること。ある意味で、力関係が築かれるので、実は性的な関係はより純粋であると言えよう。それでも、結ぼうとしても、相手が断る可能性がある。寄付も同じだ。相手に強制的に受けさせることはできない。受けさせるわけにはいかない。

そして、相手を間違える可能性もある。その場合でも、悪いことをしたわけではない。良いことで間違えたことに過ぎない。寄付も同じだ。詐欺の募金活動に応じれば、間違えたのは明らかだ。それでも、寄付した人が悪いことをしたわけはない。「あの人に寄付しない方がいいよ」と友達にアドバイスできると同じく、「あの人と性的な関係を結ばないほうがいいよ」と言うこともできる。アドバイスに背く人は、失敗するかもしれないが、悪いことはしない。

もう一つの類似点は指摘したい。寄付生活の詳細は、気軽に公表しない。特に個人への寄付であれば、受け取る側の気持ちにも配慮しなければならない。悪いことではないが、ある意味で隠す。性生活も同じだ。理由も、同じなのではないか。

つまり、性的な行為は本格的に良いことであると認めるが、それでも適度にするべきであるし、相手を慎重に選ぶべきであるし、公表するべきではない。これは本当に理想的な扱いであるかどうかを別として、充分自然な態度であると言えよう。


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