性欲の牽引力

性生活を考えれば、もう一つの重要な要素がある。それは、性欲の強さだ。同性愛の性的な行為が死刑に罰される国でも、同性愛者がその行為を行う。つまり、命をかけて自分の欲しい性生活を狙うことは多い。

これは当然なことだ。生物学で進化論があるが、進化論の原則は、子供は多ければ多くほど良い。だから、性欲は強いのは当たり前のことだ。性欲が弱い人には子孫は少ないので、絶滅してしまう。だから、これを事実として受け止めるべきだ。人類が性欲を放棄することは、現実味は全くない。

それに、この極端に強い性欲から、問題が発生する。ドラマや小説の大半がこのような問題を扱うので、ここで具体例を挙げる必要があるまい。

では、社会的にどうするべきだろう。性欲の誘惑で、人は賢くないことをすることは多い。不可避な状態だ。その場合、社会の役割は、その失敗の損害を最低限に抑えることだ。悪いことはしていないので、罰させるわけはない。だから、問題が自然に発生することは見込まれるので、社会がこの問題を悪化させるべきではない。

最初の措置は、性的な行為を禁じないこと。社会が罰を科すのは、性欲の誘惑にわざと悪影響を加わることだから、無責任で、道徳に違反する社会的な行為だ。そして、社会の批判的な目線をなるべく払拭するべきだ。欧米の同性愛に対する現在の動きはこれに沿っている。同性愛は合法になっているし、公表しても問題にならないようになりつつある。イギリスの保守党の閣僚の間に同性愛者であることを公表した人もいるかいたか。(イギリスで、もうニュースにならないほどの状況だから、現状は詳しく分からない。)

これはなぜ良いことであるかは、詳しく説明させていただく。

同性愛者は、如何に法的な制限があっても、同性愛を積極的に求める。その気分を無理して抑制すると、苦しむ。そして、我慢できなくなってしたら、人生を破壊する恐れがある。そのような法的で社会的な制限を撤廃すれば、自由に選べるようになる。相手の選択に失敗しても、少なくとも社会が問題をわざと悪化させない。

十代の人の性生活もそうだ。禁じることはできない。効果はない。行うことを認めたら、十代の人の性生活の最悪の結末は妊娠だろう。子育ての責任を負うにはまだ成長していない人だし、自分の人生のための勉強などがまだ待っているからだ。だから、学校で妊娠する過程と避妊法を教えるべきだ。それに、小学校で教えるべきだ。殆どの小学生は、性生活には興味はないそうだからこそ、その時期は適切だ。始まる前に必要な知識を与えるべきだからだ。実は、十代の人には同性愛を推薦しても良いのではないか。妊娠の恐れはないし、十代で柔軟に試す人は多いようだ。もちろん、皆がそれに従うはずはないが、異性愛が少なくなれば、妊娠も少なくなるはずだ。

それはともかく、社会の義務は、性欲が起こす問題を和らぐことだ。悪化させることではない。そうするために、性的な行為に対するより肯定的な態度を取るべきだと私は思う。


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