環境問題は深刻でだんだん更に深刻になりつつあることを否定するのは、否定するために雇っている人と問題が全く分からない人に限る。しかし、解決策についての同意はそれほど広くない。
理由があると思う。本当に難しい問題であるからだ。
偽難問は、解決には天才は必要であるとか、政府の長年の研究プロジェクトは必要であるなどの問題だ。ある意味で確かに難しいが、解決できる。
本当の難問は、解決はない。
環境問題はそのような問題である可能性は高い。
まず、環境問題の最悪な結末を考えよう。地球の生物の全てを絶滅させることはない。大きく絶滅するが、少なくとも細菌が生き残る。ゴキブリも生き残る可能性は高いだろう。最悪な結末は、生態系の崩壊と人類の激減か絶滅、そして文明崩壊である。
だから、文明崩壊や人類の抹殺を伴う解決策は解決策ではない。同じ災害を別な方法で導くことに過ぎない。
では、この事実がどうやって本当の問題になるかというろ、下記の通りだ。
現在の資本主義社会で、産業社会が、人類の人口は今より激減しない限り、環境を崩壊する。
解決策?
人類を激減させるは、最悪の結末だ。人類に限る抹殺はできないので、動植物も多く死ぬはずだから、生態系の崩壊と絶滅も広がる。だから、人口の激減は解決策ではない。
では、産業社会を廃止すれば良い。
ただし、そうすれば人口が激減する。食糧は足りない。医療がなくなる。衣食住も崩れてなくなる。まだ行きている人間が材料を得るために、乱れに森等を伐採したり、魚を取り上げたり、動物を殺したりする。
同じ結末。
これは難しい問題である理由は、最悪な結末を避ける道はないようだからだ。
私は、楽観的な視点から世界を見るので、この問題から抜け道を見いだそうとしている。
まず言えるのは、個人の活動は全く無関係だ。問題を悪化させる行動をたくさんとれば、解決に向けて説得力がなくなるが、事実上の影響から考えれば、無関係だ。毎日アメリカへ個人ジェットで往復しても、問題を悪化しない。問題は、社会全体の構造から発生するので、その構造を変えない限り、問題は解決できない。
そして、人口の激減、つまり人の抹殺を避けて解決しなければならない。その上、人間の自由を保護しないと、文明崩壊になって、結末は避けられていない。
科学的な研究と産業的な開発は必要不可欠。それは明らかだ。確かに科学と産業が問題を生み出したが、解決は他のところからくる気配はない。産業革命の前の生活は解決にならない。ただ人口激減を招いて、その途中で環境崩壊を確かな物とする。
その上、社会の構造を直さなければならない。現代の消費者社会で、人を憂鬱にするために環境を破壊しているが、一つの企業や一つの人間の立場から見れば、自分の状況が明らかに低下する。
簡単な解決策はない。革命はそれではない。科学拒否はそれではない。今のままで計測することも、解決をなさない。
解決を考えているが、解決に辿り着くための余裕があるかどうかは、曖昧だ。
だからこそ休む。長期的な苦闘になる可能性にも配慮しなければならない。
挑戦する。一歩一歩の解決に向けた行動を応援するが、その調整はただただ時間を稼ぐ。解決はそう簡単ではない。