英語でのパーフォーマンス

週末にいつもの通り私のアメリカとイギリスの家族とビデオチャットした。時差のため、アメリカは日本の日曜日、イギリスは日本の月曜日になる。

日曜日に、真由喜が二行やぬいぐるみを持ってきて、ダンスのパフォーマンスをカメラの前で披露した。最後で英語で「thank you very much」と人形を言わせた。それに刺激を受けて、翌日のイギリスとのチャットのために準備した。

先ず、英語の台詞を用意して、書いておいた。「Hello, my name is Mell. I want a pretty dress.」そして、役者を集めて、音楽を用意して、ちょっとした芝居を披露した。途中で新たな台詞を考えて、私と英語を確認した。最初から最後まで30分がかかったが、半分以上は準備だった。カメラをチッシュで覆って、人形の衣装を着替えさせたり、カメラの前の椅子で並べさせたりした。

私のお母さんが喜んだのは喜んだのは言うまでもないだろう。私も喜んだ。なぜなら、真由喜が積極的に英語で気持ちなどを表現しようとしたからだ。練習は必要であるのは明らかになったが、意欲は最初の必要条件だ。

ところで、通っている英語教室でまた英文字を一つ一つ書き写す内容になっている。教師も「レベルは低いのでは」と言ってくれて、移動を検討しているそうだ。またイギリスやアメリカに行って、英語で話させたいと思う。その準備も急がなきゃ。

富岡製糸場

先日のニュースで富岡製糸場が世界文化遺産に登録される見通しとなったことは報道された。これは喜んで関係すべきことだと思う。

富岡製糸場は一応工場だから、富士山の寺院と感覚が大きく異なるが、これも日本の文化、そして世界の文化の重要な部分だ。イギリスでも、産業革命と深く関わる複数の工場などが世界文化遺産になっている。現代社会の文化は、産業革命に形成された。日本の文化も、明治時代の産業導入によって大きく変わってきて、現代日本が産まれた。富岡製糸場の日本への影響は、法隆寺と匹敵するのではないか。法隆寺は、仏教の伝来を象徴する建物だ。仏教が日本の社会や歴史に大きな影響を及ぼしたのは言うまでもない。そして、富岡製糸場は、産業革命の渡来を象徴する。産業革命も、大きな影響を及ぼした。

もちろん、大きな相違点もある。法隆寺はある意味で美術品だ。何であるかが分からなくても、見て楽しめる。一方、富岡製糸場は工場だから、何であるかは分からない限り、なぜ文化財に値するかが分からない。見に行くのは美学的な体験にはならないだろう。イギリスの産業的な世界文化遺産も同じだ。

文化は美術だけではないのは言うまでもない。だからこそ日本料理も世界無形文化遺産になっている。このように文化の多様性を認めることをもちろん高く評価する。

そして、群馬県は遠くないので、この文化遺産を見に行くだろう。

日本舞踊の再開

先日、真由喜が日本舞踊の稽古を再開した。

ブログで書いたと思うが、4歳になったばかりの時期に真由喜を始めさせた。真由喜は音楽や踊りが好きで、楽しむのではないかと思った。そして、2年間お稽古に通ったが、消極的になり、バレエをやりたがるようにもなった。その結果、6ヶ月前に辞めた。

当時、悩んだ。一方、子供の意思を尊重するのは重要だから、真由喜は辞める意思であれば、辞めさせるべきだ。他方、幼い子供は継続力は欠けているので、親が将来を視野に入れて子供の動作を指導するべきだ。2年間の稽古は活かしてほしかったが、結局バレエへの乗り換えを認めた。

それで、真由喜はバレエを楽しんだ。

しかし、数週間前に、「日本舞踊はまたやりたいな」と言い始めた。もちろん、気軽に言うこともあるので、すぐにお稽古の再開を試みなかったが、同じようなことを真由喜が繰り返して言ってくれた。結局、本気で再会したがっていたと判断して、先生に連絡して、再開許可を得た。

最前な結末だろう。真由喜が自分の意志を試して、やりたいことが分かった。ある時に辞めたいことは、長期的に考えれば続けたい事実もある程度分かっただろう。一般的な経験にならなくても、日本舞踊と継続的に取り組む可能性が高くなった。また辞めようとすれば、この出来事を思い出させれば、もう一度考えると思える。その上、私たち親が勧めることをしないことは可能だが、推薦することは良いことであるのも分かったかもしれない。つまり、親の指導にそのまま従う必要はないが、親の指導にむやみに逆らう必要もないことが分かったと良い。

もちろん、日本舞踊が上手になってほしいのも事実だ。再開の初めての稽古で真由喜が積極的に挑戦したので、期待する。

ところで、これから原則として私が日本舞踊を担当して、ゆり子がバレエを担当することになった。それを言ったら、真由喜がすぐに反応した。

「それは逆です。なんで欧米人が日本の踊りを担当して、日本人がフランスの踊りを担当するでしょう。おもしろい!」

確かにある意味で逆です。ただし、日本の国際結婚で珍しくないだろう。外国人の方は、日本に興味を持っているから日本人とであったことは少ないし、同じように日本人の方も、海外の文化に興味に持っているために外国人と知り合ったことは多いだろう。その組み合わせで、日本の文化に特に興味を持つのは当然外国人で、外国の文化に特に興味を持つのは当然日本人だ。逆である印象は、表面だけだ。

祝・8周年

今日を持ちまして、このブログは一日たりとも怠らず8周年を迎えた。いつもご覧下さって、誠にありがとうございます。

と言うより、読者は少ないし、コメントは非常に少ないので、8周年の節目をきっかけとしてこのブログの目的をもう一度考えた。

8年前にブログを開始する当初で、目標は二つあった。一つは、北川景子さんのブログに答えることだった。もう一つは、日本語の練習だった。前者はもう諦めた。当時マイナーだった北川さんが大スターになったので、特に意味はない。感想はまだたまに書かせてもらうけれども。

後者は、もう達成した。日本語を執筆する速度は、英語とあまり変わらないし、内容にも制限はない。てにをはの修正はまだまだ必要であるのは当たり前だし、言葉遣いにはまだ変なところがあることも当然だが、日本語をさらに読めば改善されると思う。日本語を書くことの不自由を感じないのは現状だ。

だから、ここでどうすれば良いのか、ちょっと考えた。反応はほとんどないとは言え、8年間続いてきたので辞めたくない。一方、意味のある行動ではない限り、時間は割けない。

結局、内容のちょっとした変更になる。日本語の執筆をさらに上達させるために、下記のようなことをするつもりだ。

  • 体系的に自由主義のことを纏めて投稿する。イメージは親書の形だ。つまり、前に投稿した内容を繰り返して投稿する。そして、原稿を整えるうちに、数回同じところを投稿する可能性がある。一回目で完璧な原稿が整うはずはないからだ。もちろん、ここで公開すると出版してもらえなくなるが、この段階で出版に値する日本語は著せないと思う。将来的にそうできるようになりたいが、これはその為の訓練にすぎない。
  • 神道についての概念なども体系的に纏める。この部分の目標は、神道を紹介することではなく、私の独自の神道概念を整理することであるので、神社本庁の見解と違うと思う。この部分は、訓練というより、神道についてどう思うかを自分のために明らかにする行動になる。
  • 小説を投稿する。短編小説になると思うが、それでも数回に亘って投稿する。日本語で小説を読んだ量は明らかに足りないので、この小説を大きく期待するべきではないが、これも訓練になる。
  • 短歌を投稿する。短歌の投稿は大変短くなるね。これも訓練だし、現代短歌から始める。古典的な短歌や俳句が詠めるようになると良いが、すぐにそうなるはずはない。
  • 祝詞を投稿する。これも訓練だし、すぐに入らない。祝詞を書いたことがあるが、祝詞作文を紹介する本は古文はできることを前提とする。日本の高校で勉強するので、基本が何となく分かるのは当然だろうが、イギリスの高校で日本語の古文を勉強しない事実は驚くほどではないだろう。だから、受験勉強のための古文の本を買って、ちょっと学んでから祝詞と挑戦するつもりだ。祝詞の内容も、神社本庁の方針と添えないかもしれない。
  • 雑談や時事も投稿する。毎日の更新は維持したいので、軽い内容も使う。

上記の通りこのブログを運営したいと思うので、よろしくお願いします。