宇宙開発と自由

住民の生活にすぐに貢献しない研究分野を考えれば、思い浮かぶのは宇宙の研究だろう。木星の本質が分かっても、生活が楽になるとか、自由が増すなどとは言えないだろう。

しかし、ここで大きな自由が秘める。

宇宙に旅したり、引っ越したりする自由だ。

これは幻想的な話に聞こえるが、20年前にビデオチャットで日本とアメリカを繋ぐことも幻想な話に聞こえた。今もう当たり前なことになっている。確かに宇宙に行くための措置は簡単な問題ではない。民間の宇宙船はこれからの数年以内飛行すると言われるが、地球の大気をわずかに出て、数分程度の旅になるそうだ。これは、夢の宇宙旅行からほど遠い。

問題は、地上から宇宙まで行くために必要なエネルギーは莫大なことである事実だ。重力を乗り越えることは楽ではない。だから、辛うじて可能になったとは言え、大衆ができるわけはない。その上、宇宙に入ったら、生き残るためにたくさんの措置は必要となる。この措置の発明や開発には努力、資金、時間は必要だ。

そのために、国家が宇宙の研究を支援するべきだと思う。今の段階では、宇宙に行ける人間は少数で、訓練をたくさん修めた人に限るし、リスクも極めて高い。しかし、そのようなことはない限り、一般人が宇宙に行けるようになるとは思えない。地球を回る軌道まで行けるようになったら、次は月へ行くことだ。そして火星、金星、木星、太陽系外の星。開発を積み重ねるしかない。

その途中で、目標は必要となる。その上、知識は必要。その目標に、知識の収集を位置づければ、宇宙の研究になる。例えば、地球の周りの環境を理解すれば、人が地球を回ったらどうやって健康を維持すべきかは分かる。月の構造を分析すれば、月での植民地の開発には何が必要かも分かる。そして、その知識自体は文明の素晴らしい成果だとも言えるので、国家が支援しても差し支えない。

優先順位は低いと訴える人もいるだろう。確かにインドで宇宙開発を進めれば、疑問を抱えざるを得ない。住民の数億人がまだ貧困でなくなっている間に、より基礎的な自由に集中するべきだろう。しかし、日本やアメリカのレベルに達成したら、国家が何の自由が一番重要であるかを決めない方が良いだ。住民になるべく自由を与える義務だから、住民が自由の種類を選ぶ。中国でも、宇宙開発と取り組んでも良いだろう。貧困がちょっと残るが、段々払拭されつつあるそうだ。(もちろん、中国で自由を増す大幅に容易な方法もあるけれども。)

ただし、宇宙の研究は最終目的ではないことは忘れてはならない。最終目的は、住民が宇宙に行けることだから、そのことと繋がりそうな方法を選ぶべきだ。研究の立場からも有利な話だろう。なぜならば、一般人が気軽に宇宙に行けるようになったら、探検措置も気軽に派遣できるようになるはずだからだ。宇宙研究は高校ができることになる可能性さえある。だから、国家が支援する研究には宇宙を探検する技術を開発する側面は強いとしても、研究者はそれを活かして研究をより多様に展開させられる。結局、国家の支援が不要となって、宇宙の研究も自由に進むようになる。


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