医用生体工学と自由

医用生体工学というのは、医療のために工学的な概念や方式を持って生体を調整したり、創作したりする学問だ。分かり易い例として、人工心臓が挙げられる。人口の心臓だから、臓器移植の問題はないが、人の命を救うことはできる。

命はなければ、他の自由に価値はない。だから、医学研究の価値は明らかで、国家が支援すべきのは疑わしくない。どこの国でも、医学研究そのものに反対する人はほとんどいない。方法に反対する人はいるが、例えば動物を実験に使用することに反対する人は少なくないが、強調することは、この方法を使用しなくても医学研究は充分進むということだ。これにも例外があるが、少ないような気がする。医学研究の場合でも、自由を増すために研究するとしたら、目的がちょっと変わる。例えば、寝たきりになっても生き残らせるための研究より、活躍できる人生を延命できる研究を優先することになる。もう少し一般に言えば、持病の最終段階の治療より、重態になることを先送りする治療に重点を置く。

しかし、これは重点の調整に過ぎないし、実践しても医学研究への具体的な影響はない可能性も充分ある。医用生体工学の話は別だから、ことで論じたいと思う。

医用生体工学の最初の目的は救命で、人工心臓などの開発だ。しかし、そのようなことができたら、それにとどまる必要はない。例えば、人口目ができたら、紫外線にも反応する目が作成できるはずだ。鳥や虫は、紫外線が見えるそうだから、それに必要な化学物質やたんぱく質が存在する。それを人口目に導入すれば、紫外線が見える人間も誕生する。今は全くない感覚も可能だ。例えば、磁力に反応する臓器も作れるようになる。

SFのようになるが、人間にイルカと同じぐらい潜水できる能力をつけることも可能になるだろう。羽で飛ぶことは、あいにく物理学に制限されているが、今の人間ができないことは可能になる。男性として生まれた人は、子供を産むことも授乳することもできる女性に変わることも可能になるが、今想像さえされない姿に変身することも可能になるだろう。

これも、自由を増すことだ。私はやりたくないことは多いだろうが、完全に不可能なことを可能にすることも、自由を増す行動の一つだ。このような変更や変身に対する違和感を持つ人は少なくないようだが、自由は、前にも述べた通り、周りの人が好まないことをする権利だ。

違和感を持つ人は、倫理的な問題があるとよく訴える。私は真逆な立場だ。このような変身を可能としないことは倫理違反だと思う。なぜなら、全体的な自由を増す目的以外な目標のためにある人の自由を制限するからだ。個人の倫理観でこのような変身を避ける人はいると思うし、それは全然問題ない。しかし、他人に自分の倫理観を強いるのは倫理違反である。

そして、SFで広い範囲を亘って変身は可能であるように描かれるが、それは本当に可能になるかどうかは別な話だ。前述した通り、飛行は物理学上無理だろう。同じように、魚のように水から酸素を吸収することは極めて難しいと言われる。なぜなら、そうするために水を大量体の中を流れさせなければならないが、そうすれば体温が水と一緒に流れてしまって、間もなく死ぬからだ。イルカのような仕組みは可能だが、イルカも水から出て息を吸う。つまり、事前に何が可能になるかは言えないが、人間の想像力を働かせるべきだと思う。

そうするために、研究を支援しなければならない。そして、反対する勢力から研究を守って勧めさせるべきだ。具体的に想像できないとは言え、この分野の進化で人間の自由が増すのはほぼ確実だ。その上、人間に新しい能力を与える段階に達する前に、既存する病気の治療法に大きく貢献する可能性も極めて高いと思う。臨床に現れるまで十数年間か数十年間がかかるかもしれないが、これも宇宙開発と同じように国家の義務に入っている。


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