籤引きと最低実力

能力に加えて、家柄を就職の資格として捉えるべきであると先に述べたが、能力と家柄のみであれば、まだまだ少ないと言えよう。

簡単に資格は籤引きだ。つまり、希望を言って、希望者の名前から無作為で就職者を選ぶ方法だ。誰でも申し込めるので自由は広く保たれている。希望者が求人数を上回れば、夢が叶わない人がいる状況は避けられないので、残念だと言わざるを得ないものの、社会の制度で解決できる問題でもない。

籤引きでするのは簡単で、公平でも言えるので、籤引きのみにすれば良いと思う人もいるようだ。しかし、私はそう思わない。

大きな理由は、籤引きで選ばれれば、成功確率を高めるために何もできない。保障する自由は、自分の人生を監督する自由であるのは基本だから、その可能性を奪う制度は良くない。だから、本人がコントロールできる資格も導入するべきだと思う。家柄の資格も、本人が影響を与えることではないが、自分の子供や子孫に可能性を与えることも人生の目的の一つになると思うので、その立場から認めたら良いだろう。

もう一つな理由は、籤引きであれば、職業は果たせない人が就いてしまう可能性だ。

例えば、籤引きで運転免許を持たない人がバスの運転士になったら、交通事故が発生する恐れがある。全く無知な人がお医者さんになったら、さらに大変なことになる。

これは本当の問題だから、直面しないといけない。

職務を果たすための最低実力はない人は、職業に就かせてはいかない。ただし、それは本当に最低実力である。よりうまくできる人がいても、籤引きで選ばれた人を優先するべきだ。そうしないと、また能力主義になる。お店の店員などの仕事であれば、無作為で選ばれた人はできる可能性は高いので、特に措置をとる必要はない。しかし、運転士や医者は大きく違う。他の人の命と関わるからだ。この問題を重く受け止めるべきだ。

解決策はまだ未熟だが、籤引きで得られる資格は、訓練を受ける資格とすればどうかと思う。訓練で評価されたら、最低実力に至らない限り、職務自体に就けない。そして、訓練で繰り返して失敗すれば、多くの人が別な道を選ぶだろう。自分の人生を無駄にする人は少ないが、ある人はそうしたいなら、自由を尊重すれば許すべきだ。訓練で他人の命を脅かすことはない。

はっきりした実力基準はない職業には、このような制度は導入できない。例えば、俳優や政治家はそうだ。もちろん、能力はない俳優や政治家は、長く続けないだろう。

やはり、能力主義には理由があるが、その理由は多くの人の自由を制限するために充分ではないと思う。だから、さらにこの問題について考えたいと思う。


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