努力と能力

一般的な見解で、誰でもできるのは努力だ。生まれつきの能力によって、どれほど結果が出るかが違うが、少なくとも努力は可能。

本当にそうであるかは、私は疑う。努力するために意志や継続するための忍耐力も、生まれつきの能力なのではないかと思う。もちろん、他の能力と同じように訓練すれば磨けるし、その能力は全くない人は極めて少ないが、程度を言えば、人はそれぞれだろう。一番上達するのは、その分野の能力も、努力する能力も、継続力も持っている人だと思うが、その能力を持つかどうかは、本人にとっては運の他ならない。遺伝子にしろ、親の育て方にしろ、本人が選択したりコントロールしたりする原因ではない。

それでも、努力や継続力は、他の能力と別な能力だから、その能力を使って道を開けることにしたら、自由をさらに増すだろう。

今回、籤引きほど実力の問題はないかもしれない。なぜなら、長く努力すれば、力を身につけるからだ。つまり、時間がかかるかもしれないが、やがて必要な能力に達する。それが可能であれば、大半はできているだろう。

能力は少ない人には、努力がより求められる。そのために、時間は必要だ。だから、年齢制限や訓練時間の制限、そして挑戦する回数の制限は、この自由に違反する。もちろん、定まった期間を超えると実費で訓練することを求めても良いが、資金があれば継続の練習を許すべきだと思う。そして、年齢制限はさらに自由を侵す。その年齢を超えたら、勝手に無理にするからだ。確かに40歳でオリンピックを目指し始めたら成功する確率は極めて低いが、少なくとも頑張る機会を奪うべきではない。

この上、努力を応援することも必要だろう。どうやって応援するかというと、中間目標を立てることだ。十年間報い抜きに努力できる人は極めて少ないだろうから、何かの成果を途中で上げる制度が良い。

実は、例が既存する。弁護士を目指したら、一気に弁護士の試験と挑戦するのは無理だろう。しかし、その前に司法書士の資格、その前に行政書士の資格、その前にビジネス法務資格を目指せば、段階的に進める。段階毎に努力は必要だが、ビジネス法務の試験は、6ヶ月の勉強でとれるそうだ。6ヶ月の努力ができる人は少なくない。もちろん、会社に勤めていなければ、ビジネス法務がすぐに役に立たないだろうが、達成感自体は大事だ。行政書士の資格を得れば、具体的にできることはもうある。

スポーツもそうだろう。いきなり世界選手権と挑戦するのは無理だが、県大会に出るのは遠い目標ではないだろう。

努力の延長を許す制度、そして中間目標を作る制度なら、良いのではないかと私は思っている。


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