いわゆる従軍慰安婦問題

昨日のNHKラジオニュースで韓国で開かれたシンポジウムについての報道があった。そのシンポジウムは、従軍慰安婦問題についてのものだったが、日本の法的責任を求めることではなく、歩み寄れる道を探るためのシンポジウムだったそうだ。元従軍慰安婦も参加したそうだから、個人的に重要な機会なのではないかと思っている。

日本側の依然としての主張は、法的責任はもうないということで、韓国との条約で解決済であるということだった。私の理解で、日本の立場はこの点で正しいと思う。法的責任は、法律によって定まる。国際関係で、法律というのは、条約ということだ。国内の法律は無効だ。条約で、日本にはもう賠償責任などはないと明記されているそうだから、法的な責任はない。それは明らかな事実だ。だから、韓国側が「法的責任」を訴える限り、日本には歩み寄る余地はない。条約を白紙にすることはできないので、法的責任を認めることもできない。韓国側で、このことをよくわかって、日本が対応できないようにわざと強調した人もいるのではないかと疑うが、真摯でこのことを訴えた人もいるのは疑えない。

しかし、法的責任はともかく、倫理的責任は条約で解決できない。日本側は、倫理責任を認めるべきだと思う。

先ほどこの問題について論じたら、仮に強制的だったとしたが、それは徴兵制と比較するためだった。今回は、仮に日本の政府や軍の長官が強制的な行為を認めなかったとする。つまり、慰安婦になることは、制度上任意だったことを前提とする。本当にそうだったかどうか分からないが、制度が存在したのは否めないので、これは日本にとって一番甘い状態だ。そうであっても、倫理責任があると言える。

まず、慰安婦を大量で集めようとする制度で、強制的にこの役割にさせた女性もいるのは予想できる。強制的なことを排除するために、厳しく制圧するべきだったが、その管理は明らかに不十分だった。そのよう悪用される制度を設置して、そして管理しないことは、倫理責任に当たる。

それより根本的な問題がある。この制度は、女性を、特に日本人ではない女性を軽蔑する制度だった。そのような制度を設置すること自体は、重い倫理責任になる。

なぜそう言えるかというと、日本政府の態度から判断できるからだ。仮に、従軍慰安婦は軍の円滑な運営のために必要であるとしよう。その場合、慰安婦は日本のために重要な仕事をしている。看護婦などと同じような貢献だ。だから、日本政府が広告を出して、日本人の若い女性を慰安婦として貢献するように促した。そして、慰安婦に派遣される女性を、兵士として派遣される男性と同じよう「万歳!」で見送って、亡くなったら靖国神社に鎮座する。

このような行動はなかったのは言うまでもない。

つまり、日本政府は慰安婦になることは恥だと思うにも拘らず、制度を設けた。それで、主に外国人をこの仕事に使ったそうだ。(日本人の女性も入っていたそうだが、極めて少数だったようだ。)これは強制的ではなくても、重い倫理責任になる。

だから、日本は謝罪すべきである。その上、生きているうちに元慰安婦の苦労を認めるべきだ。このような態度で韓国の潮流に対応してほしいのである。