歴史修正主義

欧米のメディアで日本の歴史修正主義が厳しく批判される。主に2点について批判する。それは南京事件と従軍慰安婦問題であるのは周知の通りだろう。

南京事件について、事件があったものの、大虐殺ではなかったという主張だ。従軍慰安婦について、強制的な措置ではなかったという主張だ。

では、この主張は厳しく批判される理由は何だろう。歴史についての間違いであることを認めよう。(私はこの時期に詳しくないが、学者の通説は大虐殺と強制説であるようだから、それに従う。)ただし、単純に「歴史の事実について間違っている」ことでそれほど厳しく批判するわけはない。そうだったら、ハリウッドの監督の大半はもう逮捕されるはずだ。要するに間違い以上の問題がある。

可能性を考えよう。

一つは、日本は戦犯を真摯に反省しないことだ。個人の犯罪者の場合、確かにそうだ。犯罪を否定する限り、反省していないのは確実だ。しかし、国は人間ではない。当時でも、日本人の大半は戦犯と関わっていなかったので、記憶はなかった。ただ他の人の報告を聞いて、事実について判断した。今日になると、日本人の大半は当時まで産まれていない。親も産まれていない日本人は過半数だ。だから、証拠を見て、判断する。この立場から犯罪を否定しても、真摯に反省している可能性もある。特に、他の罪を認める場合、その罪を真摯に反省するものの、この罪はないと本気で思うこともある。だから、この理由は物足りない。

もう一つの可能性を考えよう。それは、過去の罪を認めないと繰り返す恐れだ。しかし、これは間違いだと思う。例えば、南京で虐殺はなかったと主張する人は、虐殺しても良いとは思わない。むしろ、虐殺は深刻な罪であるからこそ日本が犯したと信じたくないのである。日本は潔白である理念を保つために、将来にもそのような罪を避けようとするはずだ。この場合危ないのは、出来事を認めるものの、罪として捉えない態度だ。例えば、大都市を空襲で破滅することは、場合によって適切で罪に至らない行動であると信じたら、将来にも必要に応じて惨禍を齎すのではないか。

修正主義者が日本の罪を全て否定すれば、確かに心配するべきことがある。それは、他の国がこのようなことを行ったら、必ず戦犯を犯すが、日本の場合、日本人の優れた大和魂のおかげで、戦犯が起こらない。侵略された国の女性を強姦しないし、男性を虐殺しないし、拷問もしないし、剥奪もないとの考えだ。これは確かに危ない。罪を犯さずに済めると思い込んで、戦争を起こす可能性があるからだ。しかし、日本の修正主義者の主流はそうではない。戦犯を認めるが、特定された戦犯を否定する。つまり、日本の軍人でも、罪を犯すことがあることを認める。だから、罪を免れるために戦争を回避するのは当然な反応だ。この心理で、日本は罪を犯してはならないし、戦争になると犯してしまうので、戦争を避けるべきと考える。

つまり、日本型の歴史修正主義は近隣国を脅かす存在ではないと思わざるを得ない。むしろ、近隣国の盾になり得る。

この問題の後ろに明らかにある問題もある。それは、証拠を評価する場合、自国に有利に読み取る傾向だ。この傾向で国益を損なうことは少ないが、近隣国との摩擦の末、戦争に繰り広げる恐れもある。だから、事実を認めたほうが良いと思う。当然だろう。それでも、今なお急務ではないと言わざるを得ない。


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