英語圏では、「Identity Politics」という表現がよく使われています。指すのは、黒人としての社会的な立場や社会の改善の活動、または同性愛者としてその立場や活動などだ。つまり、黒人や女性を一括で考えて、一括でその人種の問題を論じて、解決策を探ることだ。悪用されたら、他の人種の批判に展開されてしまう。所詮、人種差別はこの考え方の一種にほかならない。ただし、悪用すれば問題になる行動はほとんどだ。悪用は可能であるため何かを退こうとすれば、残ることはないだろう。パンでも悪用できるし、宗教の何でもは歴史的に悪用された場合があったのは周知の通りだ。
とはいえ、アイデンティティを重視する考え方は、人間と人間の間に差を付けて、社会の一体感を損なうのは否めない。ウクライナの内乱になりそうな情勢は、ウクライナ人とロシア人の二つのアイデンティティは堅固に維持されているからだろ言えよう。だから、このようにアイデンティティを強調することには利益があるかどうかを慎重に検討すべきだ。
私は、必要性があると思う。それは、社会的な環境による結論だが、現在の社会環境を考えれば、世界のどこでも必要だと言えるのではないか。抽象的にその環境を描けば、下記の通りだ。
社会では、社会の目線であるアイデンティティとして見なされる人には不利がある場合です。
具体例として、アメリカでの黒人と日本での女性、そして世界中の同性愛者を挙げよう。このような問題があれば、「皆を人間として扱おう!」と言っても、問題は解決しない。人の態度が魔法的に平等になったとしても、社会の構成には不正が残るので、歴史的に差別にあった人たちはまだまだ不利を負う。つまり、その不利を払拭するために、そのアイデンティティを意識しなければならない。そして、そのアイデンティティを持つ人に特別待遇を設けなければならない。
もちろん、これは臨時的な措置であるべきだ。目的は、歴史的な問題の解決だから、問題が解決されたら、措置を取り除くべきだ。ただし、人種に対する差別を払拭するために、少なくとも40年間がかかると言えよう。なぜなら、青年時代に差別を受けた人は、差別を受けなかったと平等に競争できないからだ。現役の年間は40年間程度だから、これは最低限になる。アメリカをみたら、奴隷制は150年ぐらい前に廃止となったが、未だに黒人の立場は平等ではないことは明らかだから、この40年間はまさしく最短期である。つまり、この臨時措置が人間の人生の全てを続く可能性はある。
では、この措置の目的はどうするべきだろう。私は、そのアイデンティティを些細なことにすることになるべきだと思う。この持論と反対する人もいる。その人によると、アイデンティティの中には大変重要なアイデンティティはある。例えば、ユダヤ人であることとか、黒人であることとか、女性であること等はよく挙げられる。措置の目標は、このアイデンティティを保ちながら、待遇を平等にすることであるべきと強調する。
私はなぜ違うかというと、明日の投稿で説明する。