対立

この世で対立することは多い。中国と日本。アメリカとイラン。アメリカの中で、共和党と民主党。日本で、憲法保護派と憲法改正派。最近、心理学についてもう一度読んで、対立についてまた考えた。

対立が一旦発生したら、深まる傾向は強い。自分の仲間を防衛する本能があるし、敵討ちの精神も強い。そのような対立になって、交渉して妥協に至ることは極めて難しい。なぜなら、敵に譲歩することは、裏切りであるからだ。忠誠心を保つために、譲歩しない。しかし、そうしないと、相手が譲歩するはずはない。結局、妥協案に至ることはできない。

だからこそ、社会には裁判がある。民法の裁判所は、このように対立になった状態を解決するために存在すると言えよう。(刑法は別だ。)しかし、裁判になった問題はもう解決できない。個人レベルで明らかな例は、離婚だ。裁判所で定めた離婚はもう悲惨だ。

外交の場合はさらに酷い。裁判所に相当する存在は事実上ないので、対立になったら問題の解決が不可能になる。(戦争が外交問題を解決することはない。中国に、第二次世界大戦が日本の侵略の問題を解決したかどうか聞いてご覧。)

しかし、単純に「対立を避けよう!」と叫んでも、効果はない。効果的な解決策を提供しない限り、ただの理想話に過ぎない。対立になる前に問題を解決することはもちろんのことだが、対立はもう立っている場合は多い。

この問題について、今のところ名案は持っていない。


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