神社検定壱級の感想

昨日、第3回の神社検定の壱級を受験した。

一言でいうと、難しかった。

もう少し詳しく言えば、試験は大別に三部に分けられる。

先ずは、『神社のいろは 要語集 宗教編』に基づいた問題があった。この部分は本当に難しかった。四つの中の間違っている選択肢を選ぶ問題は多かったが、その場合指摘された間違いは大変細かいことであった。そのため、内容の粗筋をちゃんと覚えても、そして詳細の多くも覚えても、その問題で出てくる細かい点を覚えなければ、ダメだ。この問題は、『神社のいろは 要語集 宗教編』の詳細を学んだかどうかは確認すると思う。これは試験全体の前半だった。

そして、『日本の祭り』に基づいた問題があった。『日本の祭り』の書評を書いた時にも述べたが、このテキストの内容が壱級の試験に出てくるかどうかは曖昧だった。勉強して良かった。戦略から考えれば、分かる。つまり、壱級を受験するために弐級に合格しなければならない。だから、壱級を受験する人は、去年の弐級に使われた4冊のテキストの内容を理解するのは決まっている。壱級で、広い範囲で豊富な知識があることを調べるので、もう一冊のテキストを使うと良い。

この質問は、第一部の質問よりちょっと優しかったような気がした。その証拠として、先ほど問題用紙を妻に見せたら、第一部の設問さえ分からなかったのに、第二部の問題を一つ、二つぐらい解けた。満点を取るためにテキストの内容のすべてを暗記しなければならないかもしれないが、良い得点のために一般的な神道の勉強が足りるだろう。この部分は、78問までだった。

最後の22問は、「皇室」という季刊誌に基づいた。伊勢の神宮の第62回式年遷宮や出雲大社の平成の大遷宮などについての問題があった。この問題は、雑誌の記事を読んだら難しくないだろう。一方、読んだことはなかったら、絶対に無理。そして、私は、「皇室」を最後に読んだので、この2週間ぐらいで読んだ内容だったので、記憶に新しかった。

結果の予想だが、後半には自信があるものの、前半には自信は全くない。後半だけだったら、そして合格基準は70%であったら、合格したと思い込むだろう。前半と合わせたら、合格する可能性はあるが、自信はなかった問題は多かったし、自信を持って記入したのに全く違う設問もあったはずなので、分からない。点数を予測すれば、60から80かな。結果発表は8月下旬だそうだから、待つしかない。

ところで、神社検定側の大失敗もあった。アンケートもあったが、アンケートの質問は問題用紙の最後に印刷したし、回答欄は解答用紙の裏面にあった。だから、試験の前にアンケートに答える訳にはいかない。問題用紙を開くのはダメであるからだ。そして、試験が終わってから答えるわけにはいかない。解答用紙に記入することは禁じられているからだ。試験の時間中は、100問の難しい問題を90分で解くことに精一杯だった人は殆どだと思うので、アンケートの回答率は0に近いのではないかと思う。

とにかく、勉強したし、すべての問題に回答を記入したので、結果を待つ。合格だと良いな。

神道五部書

「神道五部書」というのは、伊勢神道の基盤となった書だったと言える。五つあるが、その題名は『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』『豊受皇太神御鎮座本紀』『造伊勢二所太神宮宝基本記』『倭姫命世記』。「神道五部書」と総称する理由の一つは、題名は長いことだろう。そして、略記もある。『御鎮座次第記』『御鎮座伝記』『御鎮座本記』『宝基本記』である。中世では、『御鎮座次第記』『御鎮座伝記』『御鎮座本記』は「神道三部書」と言われ、最も尊ばれたそうだ。(ところで、読み方には自信はないので、ルビをふらない。)

奥書によると、成立は奈良時代以前であるそうだが、江戸時代になったら鎌倉時代の作であることは判明された。『神社のいろは 要語集 宗教編』によると(163頁)、成立時代や作者についての研究はまだまだ充分ではないそうだが、成立順は一応分かっているようだ。一番古いのは、『宝基本記』で、次は『倭姫命世記』、そして「神道三部書」であるという。

「神道五部書」の主なテーマは伊勢の神宮の鎮座までの経緯だ。「神道三部書」の題名から明らかだが、倭姫命は神宮のご神体を大和国から伊勢国へ持っていた御杖代と言われる人物だから、倭姫命の人生を描く書物は当然伊勢での鎮座への経緯を描く。『宝基本記』も同じテーマであるという。

『宝基本記』の内容に特色がある。一つは、他の四書の基礎となったことだ。もう一つは、忌み詞などの仏教との対立意識が見えるものの、仏教色は濃い。そして、外宮の御祭神の豊受大御神の神格を高揚しようとする主張はあまり見えない。残る四書には、これが目立つ。本書は奈良時代の僧侶の行基に仮託されているので、両部神道家によって作られた可能性は指摘されているそうだ。

『倭姫命世記』によると、天地開闢の時点で、豊受大神と天照大神が誓いを契って、一緒に天下を治めることになったそうだ。その上、内宮の名称にも外宮の名称にも「皇」の字を用いる。「神道三部書」では、豊受大神は古事記で最初に現れる造化三神の一柱の天御中主神や日本書紀の最初の神の国常立尊と同一神であると強調する。そして、豊受大神も天孫降臨や三種の神器の授けに関わったと主張する。(この点は、『倭姫命世記』にもあるかどうかは、『神社のいろは 要語集 宗教編』は明白ではない。場所によって両方指す。)

この「神道五部書」は後世の神道へ大きな影響を与えたと言える。例えば、「人は乃ち天下の神物なり」と言う表現で、人間は神から神性を賦与されていることを表すが、これが神道の定説になっている。そして、『倭姫命世記』にある「神垂祈祷、冥加正直」という表現は、特に山崎闇斎に強い影響を与え、「垂加神道」の名称の元となった。国家観は、北畠親房にも影響を与えたそうだ。

しかし、現在の「神道五部書」の研究はほとんどない。神社界では重視されていないと言える。それはなぜだろう。

理由はすぐに思い浮かぶ。一つは、仏教色である。神社本庁は原則として神道から仏教色を除外する立場で、幕末の国学者の主張を継承する。(現在の総長は厳しくないが、石清水八幡宮の宮司で、神仏習合の歴史は長くて重要である神社出身だから、それは当然なことだろう。)だから、仏教色は強い「神道五部書」を軽視するのは当たり前だろう。

そして、「神道五部書」が外宮を内宮と同じレベルに並べるが、神社本庁は内宮優越論を固持する。だから、伊勢神道の神学を重視しない。それに伊勢神道の起源は、外宮が平安末期には経済基盤について心配して、固めるためにこの説を提唱したと『神社のいろは 要語集 宗教編』で述べている。このような説明はあり得るが、ちょっと早いと思う。古事記の序文を読んだら、「偽りを除く」という方針は、新しく皇位を握った天武天皇に都合が悪い伝承を潰す方針として読み取るのも当然だが、神社本庁はそのように解釈しない。英語で日吉大社の歴史についての学術書でも同じようなことがあった。延暦寺の僧侶が日吉大社の管轄を強調したが、日吉大社の神職が神道の独立性と自社の自立を訴えたが、本の解釈は僧侶は宗教の本義に則って主張したのに対し、神職はただ自分の権力を増すために主張したという。

だから、この場合は、確かに「神道五部書」のような主張は、外宮の経済的な維持に貢献したと思うが、度会氏の神職が本当にそう信じた可能性も充分ある。そして、豊受大神は天御中主神と同一神であることは、平安時代の『中臣祓訓解』にも見えるそうだが、それは両部神道の書で、特に外宮と密接な関係はないと思われるようだ。ただ単に伊勢の両宮を真言宗の世界観に織り込むための解釈だったろう。両部神道から影響を受けた伊勢神道で、その解釈を素直に受けて、維持した可能性は高い。自分の都合に良いことを外で見つければ、すぐに受け入れる傾向は人間の共通心理だと思うが、基本的に弱点とは言えない。

この点についてさらに考察するために、「神道五部書」を読まなければならない。『倭姫命世記』の研究の本は最近出版されたようだから、時間もお金も揃えれば、買って読みたいと思う。

ところで、神社検定は今日開催されるが、この投稿は事前に書いているので、復習が暫く続く。ご了承ください。

『先代旧事本紀』

先代旧事本紀{せんだいくじほんぎ}』も『神社のいろは 要語集 宗教編』で取り上げられる神道の古代の書籍である。しかし、『古語拾遺』より葬られたそうだ。

中世までは、重視された書籍だ。序文によると、聖徳太子と蘇我馬子によって撰されたそうだから、日本の最古の歴史書として重んじられた。しかし、近世に入ると、矛盾は見つけられた。例えば、奈良時代の天皇の諡は記載されているが、もちろん聖徳太子の時代にはそのような諡はまだなかった。その結果、偽書とされ、ほぼ忘れられるようになった。本居宣長の違憲は、重要な古い伝承が入っているということだったが、それでもあまり勉強されていなかったようだ。

しかし、研究の成果で成立時代を指摘できる。『古語拾遺』を引用するので807年以降のことだ。(ただし、英語で書いた学者の説は、『古語拾遺』が『先代旧事本紀』を引用したということだから、そうならさらに古くなり得る。)そして、906年までに藤原春海が『先代旧事本紀』についての意見を述べた記録があるので、10世紀頭までに成立したのは確実だ。

つまり、『延喜式』より古い書籍だ。

もちろん、『延喜式』がより古い資料に基づいて編纂されたが、『先代旧事本紀』もうそうであるのは定説だそうだ。起記神話や『古語拾遺』も使用したが、物部氏の家伝も採用したと思われている。そして、巻第十には国造の起源が記されるし、尾張氏の系譜も詳しいそうだから、物部氏だけではなく、他の地方の豪族の家伝も採用されたと推測されている。

神話には重要な特色がある。一つは、天地開闢の話で、起記と違う神代の神系譜があるが、これは中世の伊勢神道へ重要な影響を与えたそうだ。そして、天孫降臨の段で一番の特色がある。中心になる神は、邇邇芸命ではなく、物部氏の始祖となるニギハヤヒの降臨が記される。起記では邇邇芸命と一緒に五伴緒と言われる五柱の神が天下りしたが、『先代旧事本紀』では32柱の神がニギハヤヒと一緒に天下ったそうだ。そして、「三種の神器」ではなく、「天璽瑞宝十種」がある。この中には剣や鏡、玉が含まれるが、ヒレという服装も入っている。

『延喜式』に載っている祝詞は、起記神話以外の神話を反映するとも言える。例えば、大祓詞では岩や草が喋ったということが載っている。この927年に記載された祝詞を重視すれば、『先代旧事本紀』を重視するべきなのではないか。実は、『神社のいろは 要語集 宗教編』でも「神道学上見逃せない重要な内容をもっている書といえよう」と述べる(151頁)。

それでも、日本語の現代語訳はあるものの、信頼感のある出版社ではなく、邪馬台国の謎を解こうとする方の作品だから、専門家ではない私にとって、ちょっと疑問視される。岩波文庫にはない。私はまだ読んだことはないが、英訳は存在するので、日本語訳よりその方が良かろう。『先代旧事本紀』は、誰かによって標準となり得る現代語訳で出され、手軽に入手できる文庫本も欲しいなとずっと思っている。

『古語拾遺』

『神社のいろは 要語集 宗教編』の中で神道の重要な経典が紹介されるが、その中の一つは『古語拾遺{こごしゅうい}』である。誰でも知っている『古事記』と『日本書紀』と違い、一般に知られていないと思う。

『古語拾遺』は、大同2年(807)に斎部広成{いんべひろなり}によって撰上したそうだ。テキストでこの「撰上」という言葉を使い、「作成」とは言わない。その理由は、広成は自分で発想したり思いついたりした内容ではなく、古からの言い伝えを文字に納めたことだと思う。広成の目的は、起記神話から漏れた伝承を拾って、保護するということだったそうだが、それに加えて中臣氏の祭祀の占領に抵抗する目的もあった。斎部氏は、元々朝廷の祭祀を担う氏族の一つで、天の岩屋戸神話で活躍する太玉命を始祖とした。しかし、9世紀冒頭までに、藤原氏の母体となる中臣氏が影響力を増していたそうだ。伝統的で正しいやり方を取り戻すために、この書籍を著したようだ。

内容は四つに分けられる。先ず、神代の出来事が記される。これは起記神話に基づくが、太玉命の活躍を指摘するそうだ。そして、神武天皇のことで、橿原の健都で斎部氏の役割も、中臣氏や物部氏の役割も詳しく指摘されるという。次は、9世紀冒頭の時点で怠った祭祀などが指摘される。その中に、熱田社には幣帛は奉られていないこと、そして神宮の班幣順序の非礼なことも指摘する。最後に、神祇官の年神祭りでなぜ白い馬、白い猪、そして白い鶏がなぜ奉られるかについての説明がある。

もちろん、目的は斎部氏の地位を主張する事だったので、そのまま歴史書として受け入れられないが、起記神話とほぼ同じように扱っても良いだろう。広成は、撰上した807年には80歳程度だったと推測されているが、そうであれば『日本書紀』の完成から10年以内産まれたはずだ。つまり、広成が聞いた古伝は、起記神話に入っている古伝とほぼ同じ時代に成立されたと思える。起記神話の異境を受けたのは当たり前だが、7世紀末の斎部氏の伝統は『古語拾遺』で忠実に語られているのではないかと思っても差し支えないだろう。8世紀に形成された伝承としても、神道の伝承としてかなり古くて、重要である。

しかし、私はまだ読んだ事はない。『古語拾遺』自体は短いそうだが、日本語の現代語訳はないようだ。注釈本は岩波文庫にあるようだから、それを買おうかなと今思っている。先ずは、起記神話に載っていない伝承は知りたいからだ。神道の多様性は目立つが、本居宣長以来、古事記の神話が覇権を握った。神道を本当に理解するために、他の古典を読むべきだ。そして、古語拾遺は、807年に80歳の神職が「現代の人は、神道の本当の伝統を尊敬していない」と嘆く書籍だ。現代の神道が見えたら、広成は失望するだろう。いつの時代でも、これは同じだ。

ただし、延喜式では、斎部氏の役割は定められている。つまり、『古語拾遺』にはある程度力があって、伝統は再生させられたのではないかと思える。いつの時代でもお年寄りが伝統の変更を嘆くだろうが、場合によってその嘆きには意味があり、その言葉に従って伝統を甦らせたら良いこともある。