この要項の冒頭で、重要な述べたいことがある。私は、作者である。本を書いて、その本の売り上げから収入の一部を得る。できたら、印税で全ての収入を賄いたいかと思う。(実は、教えること自体は好きだから、必要ではなくなっても、辞めないかもしれない。いざとならない限り分からない。)そうするために、著作権は必要であると確信する。
著作権の目的は、想像を促すことではないと意味はない。その促し方は、想像した人には収入を保障することだ。もちろん、作品が人気を集めなければ、その収入には限度があるが、生計を立てるための人気度はそれほど高くない。1万人のファンは充分だ。その1万人から収入を得るために、働き続けなければならない。新しい作品を作って出すのは必要不可欠だ。そして、その作品から収入を得るために、所有するためにお金を出させる権利も必要だ。著作権があれば、発売できる。著作権はなければ、公開する前に全てのお金を集めなければならない。作品を誰にも見せずに、お金を集めなければならない。著作権はないと、いったん見せたら、もう自由に流れ出すからだ。(そうではない可能性があるが、実例は知らない。)
だから、作品の著作権を絶対的な権利として、作者の人生以上の期間は適切だと思う。企業が著作権を持てば、例えば30年間が良いだろう。(現在の期間より縮小された期間だが。)そして、作品の翻訳や映画化、それともテレビドラマも、作者の著作権に触れることとして、作者の許可を必要とするのは相応しい。
しかし、作品に基づく別な作品は、著作権の範囲から除外するべきだと思ってきた。
セーラームーンを例として考えよう。原作の漫画は、著作権が絶対的であるべき。実写版も、原作の話に沿うので、作者の許可は必要だ。一方、セーラー戦士をキャラクターとする別な話は、著作権の侵害と看做すべきではないと思う。現行の著作権で、侵害である可能性は高い。(実は、イギリスやアメリカで、この範囲は曖昧だ。日本の場合はよくわからないが、人の活動を見れば欧米と同じなのではないかと思う。日本の法律を勉強することは、これからの目的の一つだ。)
架空な世界を舞台とする作品で分かり易い。同じ世界を舞台とする別な話は、著作権に触れないとするべきである。
この方針で、著作権の目的はまだ果たされると思う。原作を読みたい(見たい、聞きたい)人はいれば、作者にお金を払って許可を得なければならないので、現状と変わらない。しかし、ある小説の世界が大好きな人は、同じ世界で話を書いて売ることはできる。今でもこのような動きがある。英語でfan fictionというが、ハリーポッターなどの有名な世界での作品がある。これは想像力の駆使であるのは否めないので、著作権の目的は、このような行動を促進することであることも否むべきではない。
自分の作品を所管するのは当たり前だが、その作品を刺激とした別人の作品を所管するのはおかしいと思う。
最近、著作権の常識を変えようとする自由ソフトやCreative Commonsという動きがあるが、その原則は作品の無料な配信を許すことだ。実は、Creative Commonsの新しいライセンスの作成プロセスでこのように変容の利用のみを許可するライセンスを提案したが、無料で配信できる許可は基本だと言われた。TRPGで使われているOpen Gaming Licenseでその結果に近いことはできるが、この権利を持つのは元々の作者に限る。他の人が作品を作れば、無料な配信を認めなければならない。それは不平等であるので、方法をまだ考えているが、このような形で私の作品を公開したいと思う。それでも、特別な許可に基づく活動はいつも不安定だ。誰かが権利を間違えたら、許可は実にない恐れがあるからだ。だからこそ、法律が改正されるべきだと述べたいのだ。