日枝神社の例大祭

この週末に、東京の日枝神社の例大祭は執り行われた。私は、日枝神社の氏子区域で働いていたし、今でも働いているので、崇敬会に入っている。崇敬者として、例大祭に参列させていただいた。

日枝神社の例大祭の神幸祭は隔年に行われたいわゆる天下祭だが、今年は神幸祭の年だったので、金曜日の13日には永田町を回った。私は、レッスンがあったが、帰り道で日比谷公園に寄り道して、ちょうど通りかかった行列を見た。金曜日の天気は概ね晴れだったが、にわか雨もあったので、暑さとも雨とも戦って参進した人たちは偉かった。

個人的に印象的だったことは、この神幸祭が東京の日常的な風景の中で行われたが、周りの人はあまり気にしなかったことだった。観光のための祭りの正反対であると言えよう。もちろん、偶然あった人は一旦立ち止まって、行列を眺めていたが、すぐに用事に戻ったようだ。所々で行列が止まり、神事を行うので、その時点で人がより集まるのだろう。

そして、昨日は例大祭だった。日枝神社の例大祭はいつも6月15日だから、平日に執り行うことは多い。今年は偶然日曜日だったので、簡単に参列できたが、初めてだった。神社まで行くのは慣れているし、受付はいつもの社務所の前の場所だったが、それからの行動が分からなかった。ちょっとうろうろしたら、参列者がもう神社の拝殿に入っていたことに気づいた。やはり、受付を済ませ、手水の儀をし、勝手に拝殿に入って座る。ちょっと神社の常識と違反するが、参列者は多かったので、それに対応するための措置だと思う。

例大祭の神事は普通の祭りの次第に従うので、私が指摘したい点をピックアップする。

先ず、修祓だが、大麻ではなく、玉串を使った。つまり、榊の枝に紙垂が付けられた玉串でお祓いを行った。そして、毎月の祭りと違って、塩でもお祓いを行った。

そして、巫女神楽は四人舞の「日枝の舞」だった。巫女の装束は、袴は完全に紅である普通の形ではなく、下の半分ぐらいは紅で、その上は白い。そして、千早のようなものは、緑色で刺繍も施された。花束に見える持ち物で、四人で舞った。巫女舞として良いと思った。ゆっくりと舞う部分もあるし、ちょっと早く舞う部分もある。

もう一つは、参列者の中に関東の有数な神社の宮司の殆どが数えられた。神社本庁幣の献幣使は、神社本庁の総長の田中石清水八幡宮宮司が勤めたが、都内の神社だけではなく、埼玉の秩父神社の宮司も茨城県の鹿島神宮の宮司も参列していた。普通は、周辺の宮司が例大祭に参列するかどうか分からない。もちろん、小さなお社であればそうならないと思うが、重要な神社であればどうだろう。日枝神社は皇居の鎮守であるので、神社本庁にとって特別であるかと思うから他の場合は必ず類似するとは限らない。

祭儀の最後に、参列者が皆一人一人玉串を奉って拝礼した。これは、大規模な祭りでは珍しいと思うが、日枝神社では恒例であるようだ。そして、祭祀の後の直会は形だけのお神酒ではなく、本格的な食事だった。お下がりにも赤飯も神酒も入ったが、飴と「日枝の霊水」というお水も入った。

最後に、奉仕する神職の一人は女性だった。確かに最下位の神職だったようだが、供饌の儀で御饌を供えたし、宮司が玉串を奉って拝礼した時点で他の祭員と一緒に拝礼したので、神職としての奉仕だった。大きな神社で女性が巫女ではなく神職として奉仕することは珍しい。今までの一日参りと月次祭では、神職としての女性は見た事はない。確かに毎月参列はできないので、次回も期待する。女性が最下位の神職として奉仕するのはもちろん第一歩に過ぎないが、第一歩は重要だ。将来に、奉仕する神職の半数、宮司を含めて、女性になることを期待する。


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