歩く余裕

近世以前、一般の人が旅をすると、歩いて行ったそうだ。参宮は一生に一回だった理由の一つは、伊勢まで歩かなければならなかったからだったろう。参勤交代の場合、大名は歩かなかったが、足軽などの行列の人の大半が歩いただろう。そのような世界にもちろん戻りたくない。東京から青森を日帰り旅行ができることは、自由を増して、可能性を切り開く。

一方、個人として、徒歩の旅も大好きだ。(最近、この周辺の散策が少なくなったが、また再開したいと思う。)歩いたら、周辺をよく見て、寄り道したい所を見つけたら、簡単によることもできる。もちろん、全体的なスケジュールに配慮しなければならないが、駐車場を探す必要や駅を待つ必要はない。歩くところを体験する。

だから、大山街道を歩いた。バラバラにして、一日ずつ歩いたが、街道の実態を把握したかと思う。同様、東海道は歩きたいなと思ったり、中山道も、奥の細道も、熊野古道も、などなど。

問題は、所要時間。大山街道は短いが、一発で歩けば、一週間が必要となる。東海道は数週間を要するだろう。現代社会で、それほど時間がとれるのは、定年後の方にほぼ限るだろう。四国遍路も同じだが、バスで回る人は多い理由は、基本的にここにあるだろう。

だから、社会の構成が変わり、このような散策が可能になってほしい。つまり、数週間をとって、殆ど移動に専念することは可能な状態。

これは、私のような散歩好きな人にしか役に立たないわけではない。それほど時間はとれれば、何に使用するのは自由だからだ。他の時間を要するプロジェクトがある人は、それを実現できる。要するに、仕事を数週間休むことを普通のことにすれば良いと思う。

それは年に一回であったら極楽だが、まだ現実的ではないだろう。ただし、数年に一回に限っても、そのような纏まった時間がとれるのは重要だ。纏まった時間はないとできないことは多いが、学生の時代や定年後の時代にしかできない状態は良くない。

確かに、会社などには不便をかける。社員の長い休暇に対応するのは容易ではない。しかし、人間は会社のために存在しない。むしろ、会社などは人間のために存在する。だから、対応できるように制度を設置するべきだ。零細企業では経営を停止するしかないだろうが、それを法的に可能とするべきだ。より大きな企業で、他の社員が休む人の役割を担えるようにする。もちろん、これには他の利点があるので、会社側にも有利な措置となるかと思う。

基本は、時間がかかる計画を一般の人に可能にするべきである概念だ。


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