3000

投稿の数え方は何だろう。一通?一個?一枚?一本?一部?

正しい漢字はともかく、この投稿でこのブログで公開された投稿が3000に上ってきた。

投稿は3000であれば、文字数が200万を超えたとも思える。最近の投稿の殆どが1000文字を超えるし、200万を超えるために平均的に667文字は必要となるので、可能性はかなり高い。(残念ながら、投稿毎の文字数を簡単に計ってもらえるのに、全体的な統計はすぐに現れない。一つ一つ調べて計算する余裕はないので、確実な結果はない。)200万文字の意味は、言語で作文できるための基準であることだ。英語で、100万語を書けば、読む値がある文章を書けるようになると言われるが、英語の1語は日本語の2文字と相当するので、日本語で200万文字になる。

もちろん、200万文字で完璧になるというわけではない。訓練を積み重ねたら、さらにできるようになる。文豪のレベルに至るために、数千万文字は必要だろう。ただし、普通に原稿が出せるようになるために、200万文字は目安だ。確かに疲れていても、日本語で投稿が書けるようになったし、数百文字を出す事も難しくない。日本に住む限り、役に立つ技能だ。

英語で出版してもらえるが、日本語ならまだまだ。30年間の読書の経験は欠けているからだ。だからこそ先ほど日本語の読書は増やしたいと述べた。そうできれば、日本語でも作者になれるのだろう。将来の目標だ。

ところで、ブログのことだが、何らかの不具合で、今のところ写真は公開できなくなった。ブログの中の設定には問題があるかと思うが、原因を調べる余裕はないので、暫くの間文字ばかりの投稿が続く。

産霊

産霊{むすび}」について『神社のいろは 要語集 宗教編』には事項がある。「むすび」と「むすひ」の読み方があるし、「魂」と書くこともあるし、「産巣日」との字で書くこともある。本居宣長が「{すべ}て物を生成{}すことの霊異{くしび}なる御霊{みたま}」と解説した(206頁)。つまり、万物の生産や創造の力となる御霊のことだ。

神様の名前でよく出てくる言葉だ。古事記の冒頭に現れる造化三神の二つは高御産霊神と神産霊神であるし、宮中の八神殿で祀られた神の五つは、神魂{かみむすび}高御魂{たかみむすび}生魂{いくむすび}足魂{たるむすび}、そして玉留魂{たまつめむすび}という神である。その上、起記神話で高御産霊神が天孫降臨の神話でも、神武天皇の東征の神話でも活躍して、邇邇芸命は高御産霊神の孫神でもいる。神産霊神は、出雲神話で重要な役割を担うし、少彦名神の祖神でもいる。物部氏の伝承を伝える『先代旧事本紀』でも、産霊の神は重要な役割を担うそうだ。つまり、古代、産霊信仰は重要だったと言える。

実は、『延喜式』に納められた祈年祭の祝詞を読めば、産霊の神は天皇の守護をするように見えるし、天照大神にたいする内容は、後で追加されたような印象を与える。(他の神に対する内容を重複するし、「辞別きて」という表現で別な段階として導入されるし、祝詞全体の構造から見れば場所は不自然だから、付け加えられたなのではないかと思う。)これを踏まえて、もしかして天武天皇の御代の前に、産霊の神は最高の神様だったのではないかと推測する。

それはとにかく、私の神道観念には産霊が中心的な位置を占める。産霊の「むす」は息子や娘の「むす」同じく、「苔が生す」とも同じだそうだ。(これも宣長説である。)この創造することや産むことも重視したいのだ。なぜかというと、創造するのは生きていることの意味になると思うからだ。つまり、生きることは創造すること。

そして、創造すれば、未曾有なこと、前代未聞なこと、予想外なことになる。簡単に予想できることは、創造の中心ではないと思う。創造してから明らかであると思われる場合もあるが、創造する前に思いつかない事態だ。このような創造は、前例に基づいて扱えない。そして、自由はないと、できない。許可はないとできなければ、創造はそもそも無理になる。なぜなら、創造する前にその存在は分かっていないので、許可できるわけはない。創造があれば、社会が変わって行く。これで、今想像もつかない素晴らしい未来が齎される。もちろん、この考え方は保守的な考え方の正反対である。将来がどうなるかは分からないが、少なくとも過去と根本的に異なるのは確実だ。

私は、このような積極的で前向きな思考を神道に託し、将来への展開を期待する。

和魂と荒魂

今日の投稿も『神社のいろは 要語集 宗教編』から弾みを受けて論じるテーマである。神道の神観念では和魂{にぎみたま}荒魂{あらみたま}は重要な概念である。例えば、伊勢の神宮で荒祭宮で天照大神の荒魂が鎮座されるし、兵庫県の廣田神社の御祭神は天照大神の荒御魂である。神様には必ず和魂も荒魂もあると考えれるし、別々で祀ることもできる。だから、二つの御霊が存在するのではないかと思うだろう。神道の通説は、そうではないということだ。本居宣長は、一つの火から蝋燭と薪に火を移しても、元々の火はまだ一つの火だし、蝋燭と薪は働きに過ぎない。和魂は蝋燭で、荒魂は薪であるとも述べたそうだ。

これで、御霊の違いが焦点となる。漢字から推測すると、和魂は穏やかで、荒魂は荒々しいと思うが、それとちょっと違う感覚がある。荒魂はただ単に荒々しい御霊であれば、祟り神のイメージに近いが、そうではないと思われる。鈴木重胤という国学者は、「荒魂は物を成すの意、和魂は事を務むるの意なり」と書いたそうだ(225頁)。そして、高御産霊神を天之御中主神の荒魂として、神産霊神を和魂とした。それを展開して、荒魂が物を成して、つまり創造して、和魂がそのことを守って整えるという概念になった。

私は、この観点に近い。去年、英語で書いてあるゲームのKannagaraのために荒魂と和魂の働きを定義した。それで、荒魂は既存状況と違う出来事を発生する力として、和魂は既存状況の中で守ったり成長させたりする力とした。重胤の考えに驚くほど近い。その考え方に辿り着いた経緯について、ちょっと書きたいと思う。

私の神道観念では、産霊は重要な位置を占める。(これも、『神社のいろは 要語集 宗教編』に出てくるので、後日にその話題について書くだろう。)産霊というのは、創造する力、そして成長する力として考える。つまり、私の神道の基礎には創造と成長がある。だから、神の基本的な働きも、創造と成長として考えたいのである。簡単に割り振りすれば、創造と成長を荒魂と和魂に当て嵌めると良いのではないかと思えるが、そう簡単ではない。特に、和魂は豊穣などを齎す御霊として思われるが、それは創造か成長かは、曖昧だった。そして、荒魂には「荒」という漢字が入っているので、それも尊重したいと思った。

現状が変わると、慣れてきたことが覆されることもあるし、生活を立て直す必要がある。そして、現状を変わる現象は、荒々しい災害などもあるが、真新しい発明もある。現状を大きく変えることは望ましい場合も充分ある。例えば、女性の社会参加は、儒教の既存状況を根本的に覆すが、男女平等は良い事だから、荒々しい状況の変更は望ましかった。望ましいとは言え、女性にとっても楽なことではない。男性にとってはとても難しい側面もある。

だから、荒魂はちょっと怖い。それほど大きな変化に対応するために、不安な気持ちで努力しなければならない。祟りも荒魂の働きになるので、その「荒」も尊重する。その上、権力者にとって根本的な変更は好ましくないことは多い。なぜなら、今権力を握れば、社会が下克上になったら今持っている利益を失うからだ。だから、権力者が和魂をより篤く崇敬したら、当たり前だろう。

そして、現状を維持したり守ったりすることは、豊穣を齎したり、地震を防いだりする行動にもなる。子供の健やかな成長も、和魂の管轄に入る。子供が存在すれば、成長は現状の自然な展開であるからだ。ただし、出産自体は荒魂の管轄に入る。現状の大きな変化を齎すことであるからだ。

このように分けたら、荒魂も和魂も崇めるのは当然だし、普段は和魂の働きを求めることも当然。だから、神道の実践で見える模様は、この概念から発生できる。

感謝の心から考えれば、日常的な感謝は和魂に捧げる。毎日、根本的な変化はないからだ。一方、特別な創造などを感謝する場合、それは荒魂を対象とする。祈願も同じだ。和魂に祈願することは多いが、荒魂に祈願することもある。

つまり、私の観念は、鈴木重胤の観念に近いが、さらに独自的に発展した。

ところで、橘守部という国学者は、荒魂は元の御霊から別れて、現れる御霊であると論じた。だから、私の観念が全ての神道学者と合うとは到底言えない。

吉田神道と神社本庁

『神社のいろは 要語集 宗教編』で、吉田神道が論じられる。室町時代から明治維新まで、日本の神社の大半を管理したので、見逃すわけにはいかない。吉田兼倶が吉田神道を発足したが、独自な神道観念に基づかせた。もちろん、15世紀までの神道から強い影響を受けたが、伊勢神道の影響も見えるとせよ両部神道の影響も見えるとせよ、独特な祭祀などを持つ神道だった。兼倶が自分の作品を歴史的な人物に仮託したし、勝手に応仁の乱で破壊された神祇官を継承したと主張した。ただし、天皇からも幕府からも認められ、神道裁許状という免許を発行した。この神道裁許状は、神職へ様々な資格を与えた。例えば、神道相伝の項目で様々な祭祀作法や所作の取得を認めた。『神社のいろは 要語集 宗教編』272頁で「吉田神道における実習的側面を窺い知ることができる」と書いてある通り、神職の養成に関わった。そして、別な種類の神道裁許状で神職の身分を定めて、神職の服装を定めて、そして神社の勧請などを許可した。

現在の吉田神道の説明が批判的になる傾向は強い。一つの理由は否めない。何にしても、吉田兼倶が基礎となる書籍を作成して、そして歴史的な人物に仮託して、そして朝廷からの歴史的な詔などを捏造した。このような行為を基盤とする組織を高く評価することにはハーダルが高い。

しかし、もう一つの理由は、正当な神祇官ではなかったということだ。つまり、吉田兼倶が勝手に神社界の権力を握ろうとした批判だ。『神社のいろは 要語集 宗教編』を読んだら、後者の批判は認めにくいことに気づいた。

なぜかと言うと、吉田神道の位置と神社本庁の位置は非常に似ているからだ。

双方は、戦争で滅ぼされた神道を管理する組織の跡を継いだ。吉田神道の場合、応仁の乱で破滅された神祇官の機能を担ったし、神社本庁は神道指令で廃止となった神祇院の機能を受け継いだ。そして、双方の創設者は、消えた組織で重要な役割を持った人だった。吉田兼倶は、卜部氏の末裔で、神祇官の高官の職を世襲した家柄だった。確か、応仁の乱の前に神祇官で働いた。そして、神社本庁を設立した方は、神祇院や神社界で重要な役割を担っていた人だった。双方は、天皇や朝廷に設立されなかった。そして、双方は後ほど朝廷の黙認を受けたが、天皇や政府の干与はあまりない状態で、独自的に神職の資格の基準を定めたり、服装や身分を設定したり、神職の養成を行ったりした。その努力の結果、神道が生き残った。それだけではなく、繁栄したとも言える。確かに、神社本庁の創設の資料は捏造ではないが、一方神社本庁は天皇や政府から正式に認めていない。吉田神道は天皇と関わったし、江戸幕府の「諸社禰宜神主法度」で正式に神社の大半の管理組織として認められた。江戸時代の吉田神道のトップは、捏造を行わなかった。

神社本庁にも独特な神道観念がある。吉田神道の観念と大きく異なるが、吉田神道の観念と同じように、歴史的に見える神道の要素の流れを汲む。捨てる部分もあるが、それも吉田神道と同じだ。そして、吉田神道と同様、他の流れを汲む神道を厳しく批判することはある。

重要な相違点は、吉田神道は400年生き残って、今なお「古神道」の名目でその影響が見えると言われている。(古神道はまだ詳しく調べていないので、この点について何も言えない。)神社本庁は戦後の創設で、まだ70年に至っていない。本居宣長まで遡らせても、250年程度になるが、明治時代の神祇官は組織的でな具現だっただろう。つまり、神社本庁は比較的に新しい。

そして、吉田神道が自分の優越性を強調したが、修験道や両部神道の存続を認めた。神社本庁の母体である国家神道は、吉田神道、修験道、両部神道、山王神道を潰そうとして、完璧ではないがほぼ絶滅させた。これは、資料を捏造する行為より批判するべき行為であると言わざるを得ない。もちろん、江戸時代の吉田家には捏造の罪はなかったと同様に、現代の神社本庁には他の宗教を弾圧した罪もない。

歴史的に見れば、「本当の神道」を指摘するのは難しいが、神社本庁を現代の吉田神道として考えれば、神道の流れの中の地位が分かるのではないかと思った。