禊祓は、神道の中心的な概念である。『神社のいろは 要語集 宗教編』では、5頁に亘る項目になっているので、重視されているのは明らかだ。一緒になっている「禊祓」は、「禊」と「祓」に分けることはできる。この違いについて、定説がある。
「禊」は、体に附着した汚れなどを水で落とす行為で、イザナギの禊の神話から起源すると言われる。一方、「祓」は、自分が犯した罪を償う行為で、何かの物を捧げることである。祓は、スサノオが高天原から追放される直前の神話から発生するという。これに沿って、「穢」は外から来た不運や不浄なことを指して、「罪」は自分の犯した悪しき業を指すと言われる。このように禊と祓を考えれば、普通の神社参拝には両方が現れる。手水舎で水で手と口を清めるのは、禊の略儀であるし、神前で賽銭を捧げるのは、祓の略儀だ。
しかし、「禊祓」と「罪穢」の言葉の存在から分かるように、この区別は曖昧で、歴史的にもはっきり区別された時代はあったとしても、歴史書には記録されていない。
禊祓と深い関わりを持つ神は数柱ある。まず、『古事記』でイザナギの禊祓で産まれた神が掲げられる。最初は、穢れや禍事の神の八十禍津日神と大禍津日神が誕生した。その後で、祓い清める神が誕生した。それは、神直毘神、大直毘神、伊豆能売神だった。本居宣長が特に直毘の神を重視したそうだ。しかし、大祓詞で登場する神は、セオリツヒメ、ハヤアキツヒメ、イブキドヌシ、そしてハヤサスラヒメである。この四柱の神は他の神話に出てこなくて、国学者は他の神と関連させようとした。宣長と篤胤は天照大神と豊受大神の荒魂やスサノオと関連したと言う。ところで、この禊祓と関連する神は「祓戸神」と言われる。確か、春日大社では末社に祀られている。
上記の「大祓詞」とは、奈良時代には朝廷で6月と12月の晦日に執り行われた大祓という儀式に奏上された祝詞である。今でも神道の儀式に重要であるし、例えば東京の日枝神社では毎月の一日参りと月次祭では、参列者が大祓詞を斉唱する。歴史的にも重要だったし、平安時代からこの祝詞の解釈が重要な宗教的な位置を占めた。平安時代の両部神道の書の「中臣祓訓解」は早い例。(中臣氏によって奏上されたので、「中臣祓」とも言われた。その上、元々の大祓詞は「宣る」という動詞をしようするが、中臣祓で「申す」に改められている。)中正になったら、陰陽師がこの祝詞を使って、庶民の祓を行ったそうだし、伊勢の神宮の御師も行った。神宮大麻の原型の大祓大麻だったそうだ。今でも神社でこの大祓が行われるが、神社で大祓詞のなかで列挙される天津罪と国津罪は省略されている。どこかで聞いた説明は、清浄な神社でその穢らわしいことを口にすることは遺憾であるからだそうだ。
この禊祓の祓え具として、人形はよく使われている。歴史的に、金属の物は使用されたそうだし、場合によって貴金属でも使用されたが、現代の物の殆どは和紙だ。茅の輪潜りも祓の意味を持つが、人形と同様に陰陽道から発生したと思われるそうだ。
現在、神社本庁が行う禊祓は、禊と祓に分けられるだろう。祓は、手水も含めて、祭祀の前に怠らずに行われている。大祓詞より遥かに短い祓詞があるが、それは昇殿参拝をすれば、修祓の時に唱えられる祝詞だ。そして、大祓のときに、人形や茅の輪を加えて、茅の輪を三回潜るなどの行事がある。これは純粋な儀式に近い。
一方、禊は宗教的で、神社本庁の他の活動と対照的だ。昭和時代に始めたそうだが、特に厳寒の頃に川や海に入って、特別な手振り身振りをして、呪文のような詞を唱える。『神社のいろは 要語集 宗教編』によると、「(前略)荒行の性格を持ち、そこで唱えられる生魂・足魂・玉留魂については、神道の伝統的信仰からいえば、独特なものがあるといえよう」そうだ(235頁)。この行事の歴史と神社本庁の活動の中の位置についてさらに調べたいと思う。他の活動とよく噛み合ないような気がせざるを得ない。
私の個人的な見解を述べさせていただけば、禊祓には特に二つの魅力がある。
一つは、犯した罪や附着された穢れを清めて、力を取り戻す儀式はとても良いと思う。人間は間違えるし、禍にも遭う。その事実を認めて、将来に向けて歩き出す儀式は人生には必要だと思う。
もう一つは、日常の世界と清浄で神聖な世界の境には儀式があることだ。非日常的な経験は人間には重要だと思うが、そのような経験をさせるために儀式が貢献すると思う。禊祓の儀式で、日常的な環境を出た意識を与えるのは良い。
歴史的に、禊祓は神道の重要な概念や儀式であることは否めないし、私が自分の独自的な神道観念を成立する中で、重要なことである。