真由喜の日常

これはちょっと前の土曜日の話。

真由喜が起きたら、「水泳に行きたくない」と訴え始めた。抗議しながら準備を進めたので、時間通りに家を出て、プールに向かった。ゆり子によると、結局水泳を楽しめたそうだ。

帰ったら、ちょっとおやつを食べ始めると、ピンポン。学校からのお友達が来て、真由喜が一緒に遊ぶかと尋ねた。おやつを急いで食べて、お出かけ。12時までに帰るとの約束。

12時1分に、真由喜が帰る。これからはまた準備。習い事の友達家族と一緒にカラオケに行く事になっていたからだ。

夕方。真由喜が帰ってきて、すぐに寝る。

学校、習い事、お友達との外遊び、家で人形とのゴッコ遊び。テレビも見るが、最近それがちょっと少なくなった。七夕の短冊に書いた抱負は、「えをかくひとになりたい」。

このような生活を見れば、親として心配することは少ないなと思う。確かに真由喜の偏食や小食はまだ目立つが、元気だし検診で栄養などの問題は指摘されていないので、それも大丈夫。確かに素直に私たちの指摘に従ってくれないし、大きな声で叫んだり癇癪することもあるが、その挙げ句私たちが言う通りにすることも多い。そして、楽しくそのことをする。家の外であれば、そのような現象は一切ないようだし。

やはり、親の思うのままにしてくれる子供はいないと思う。それに捕われずに、子供の行動や生活を全体的に見るのは重要だ。子供の仕事は、親に従うことではなく、成長することだ。親に従う理由は、ただ単に親が成長への道に導くからだと言えよう。そして、自我を強調するのは成長の一部だ。結局他の人に迷惑をかける行動を止めてくれれば良い。親に迷惑をかけることも、子供の使命。子供は親のための存在でもないし。

これを書いているとき、真由喜が隣に立って、紙に書いている。友達との遊ぶ約束に付いて話している。私の隣にいるのは好きのようだから、嬉しい。

特に深い意味な内容はないが、真由喜の平凡な日常を見ると、心が温まる。特に優れる行動はなくても、典型的な子供として行動しても、それ親にとっての最高の喜び。これからも、真由喜の成長は見守りたいのだ。いつも肯定的に真由喜の行動を受け止めて、いつも傍らから支えてあげて、いつも真由喜自身の目標に達成するように。親の希望を押し付けずに、親の理想と比べずに。普通の子供であるとしても、我が子だから特別。

これは親バカの一種だろうが、良いと思う。世の中、子供をこう見守る親は多い。それも良い。客観的に見たら特別ではないが、主観的に我が子は特別。

それは親である。


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